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70周年記念の豊橋市歯科医師会誌

70周年記念「豊橋市歯科医師会誌」を手にする山口堅三会長=東愛知新聞社で
70周年記念「豊橋市歯科医師会誌」を手にする山口堅三会長=東愛知新聞社で

 豊橋市歯科医師会(豊橋市中野町、山口堅三会長)が、今年70周年を迎え、新制歯科医師会70周年記念「豊橋市歯科医師会誌」をつくった。50周年時の豊橋歯科医師会史に次ぐ記念事業で、菊判・364㌻、400部発刊。最近の20年間に焦点を当て、歯科医師会館&および歯科衛生士専門学校の全面移転(2010年)にまつわる苦労談など、会員による寄稿文を中心に編さんした。
 同会は1920(大正9)年に、20人で産声を上げた豊橋市歯科医師会が母体。敗戦直後の47(昭和22)年12月、新制歯科医師会として57人で再発足した。当初は事務局の建物を持たなかったが、65年に市内三ノ輪町に歯科医師会館を設け、75年から全国に先駆けて往診・当直診療(休日夜間診療)をスタート。82年には会立の豊橋歯科衛生士専門学校を開校させ、これまで1000人を超える歯科衛生士を送り出している。
 2010(平成22)年4月、中野町の国立病院跡地へ、歯科医師会館・専門学校ともに新築移転。同時に専門学校を2年制から3年制へ移行させ、障害者歯科診療も始めた。昨年3月には、口腔ケアを柱とする「市歯科口腔保健推進条例」施行が実現するなど、東三河地域の歯科医療をリードしてきた。現在会員224人。
 今回の70周年会誌では、新歯科医師会館の写真が冒頭を飾り、歯の健康フェスティバルや豊橋まつり参加風景なども載せたビジュアルな編集。本文の目次は、会長回顧録(寄稿者4人)▽専務回顧録(7人)▽会館移転(6人)▽歯科衛生士専門学校移転・3年制移行(3人)▽専門学校の現在(4人)-など、多くの寄稿文で70年を振り返った。表紙を飾る題字は、旧会館設置時に会長を務めた伊藤定司氏が揮ごうしている。
 山口会長は「会館・学校移転という大事業に携わった体験を、後世の会員たちが読み、その苦労を感じ取ってもらいたい」。編さん特別委員長の中島章雄氏は「専門学校も併設する歯科医師会は全国でも珍しい。日本に誇れる医師会であることが、改めてよく分かりました」と話している。
(藤田彰彦)

 豊橋市歯科医師会(豊橋市中野町、山口堅三会長)が、今年70周年を迎え、新制歯科医師会70周年記念「豊橋市歯科医師会誌」をつくった。50周年時の豊橋歯科医師会史に次ぐ記念事業で、菊判・364㌻、400部発刊。最近の20年間に焦点を当て、歯科医師会館&および歯科衛生士専門学校の全面移転(2010年)にまつわる苦労談など、会員による寄稿文を中心に編さんした。
 同会は1920(大正9)年に、20人で産声を上げた豊橋市歯科医師会が母体。敗戦直後の47(昭和22)年12月、新制歯科医師会として57人で再発足した。当初は事務局の建物を持たなかったが、65年に市内三ノ輪町に歯科医師会館を設け、75年から全国に先駆けて往診・当直診療(休日夜間診療)をスタート。82年には会立の豊橋歯科衛生士専門学校を開校させ、これまで1000人を超える歯科衛生士を送り出している。
 2010(平成22)年4月、中野町の国立病院跡地へ、歯科医師会館・専門学校ともに新築移転。同時に専門学校を2年制から3年制へ移行させ、障害者歯科診療も始めた。昨年3月には、口腔ケアを柱とする「市歯科口腔保健推進条例」施行が実現するなど、東三河地域の歯科医療をリードしてきた。現在会員224人。
 今回の70周年会誌では、新歯科医師会館の写真が冒頭を飾り、歯の健康フェスティバルや豊橋まつり参加風景なども載せたビジュアルな編集。本文の目次は、会長回顧録(寄稿者4人)▽専務回顧録(7人)▽会館移転(6人)▽歯科衛生士専門学校移転・3年制移行(3人)▽専門学校の現在(4人)-など、多くの寄稿文で70年を振り返った。表紙を飾る題字は、旧会館設置時に会長を務めた伊藤定司氏が揮ごうしている。
 山口会長は「会館・学校移転という大事業に携わった体験を、後世の会員たちが読み、その苦労を感じ取ってもらいたい」。編さん特別委員長の中島章雄氏は「専門学校も併設する歯科医師会は全国でも珍しい。日本に誇れる医師会であることが、改めてよく分かりました」と話している。
(藤田彰彦)

70周年記念「豊橋市歯科医師会誌」を手にする山口堅三会長=東愛知新聞社で
70周年記念「豊橋市歯科医師会誌」を手にする山口堅三会長=東愛知新聞社で

カテゴリー:社会・経済

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