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衆院議員の鈴木氏が引退会見

後継の田中氏㊨と握手をする鈴木氏=名古屋の民進党県本部で
後継の田中氏㊨と握手をする鈴木氏=名古屋の民進党県本部で

 「県議、蒲郡市長、衆議院議員と35年間の政治生活から引退を決意しました」―。民進党の鈴木克昌衆院議員(73)=東海比例区、衆議院沖縄・北方領土問題特別委員長=は23日、名古屋市の民進党県本部で大塚耕平民進党県連会長(参院議員)らとともに記者会見、次期総選挙には出馬せず引退することを発表した。
 また、後任には公設第一秘書の田中克典氏(43)を指名。愛知14区から出馬することも併せて発表した。
 鈴木氏は会見で引退を決意した理由について「年齢とは思いたくないが、1つは民進党では横道さんをはじめ、70歳以上の人が勇退する動きがあり、若い人を育てるのも重要な役目。適当なときに後進に道を譲ろうと考えていた。政治の師である小沢一郎氏など多くの人から引き留められたが、田中さんという素晴らしい後継者ができたので引退を決意した。もう1つは妻の健康状態が万全でないことだ」と話した。
 長い政治生活をふり返って鈴木氏は「県会、市長を含めて12回選挙を戦い、成績は11勝1敗。この1敗は無所属で出馬した最初の衆院選。ある意味で私を大きく成長させてくれた貴重な経験だった。14年間の国政では地方分権と財政再建、年金、医療、介護など弱い人の立場を考えた政治をめざした。特に印象に残っているのは総務副大臣のときに発生した東日本大震災と議員年金を廃止したことだ」などと話した。
 その上で地盤を譲る田中氏について「12年間、秘書として私を支えてくれた。心置きなく後を託せる人」と紹介。「14区は私の宝。今度は私が田中氏を支え、当選させたい」と述べた。
 田中氏は関西学院大卒。鈴木氏の私設秘書などを経て、2009(平成21)年から公設第1秘書を務めて、鈴木氏を支えてきた。
(後藤康之)

 「県議、蒲郡市長、衆議院議員と35年間の政治生活から引退を決意しました」―。民進党の鈴木克昌衆院議員(73)=東海比例区、衆議院沖縄・北方領土問題特別委員長=は23日、名古屋市の民進党県本部で大塚耕平民進党県連会長(参院議員)らとともに記者会見、次期総選挙には出馬せず引退することを発表した。
 また、後任には公設第一秘書の田中克典氏(43)を指名。愛知14区から出馬することも併せて発表した。
 鈴木氏は会見で引退を決意した理由について「年齢とは思いたくないが、1つは民進党では横道さんをはじめ、70歳以上の人が勇退する動きがあり、若い人を育てるのも重要な役目。適当なときに後進に道を譲ろうと考えていた。政治の師である小沢一郎氏など多くの人から引き留められたが、田中さんという素晴らしい後継者ができたので引退を決意した。もう1つは妻の健康状態が万全でないことだ」と話した。
 長い政治生活をふり返って鈴木氏は「県会、市長を含めて12回選挙を戦い、成績は11勝1敗。この1敗は無所属で出馬した最初の衆院選。ある意味で私を大きく成長させてくれた貴重な経験だった。14年間の国政では地方分権と財政再建、年金、医療、介護など弱い人の立場を考えた政治をめざした。特に印象に残っているのは総務副大臣のときに発生した東日本大震災と議員年金を廃止したことだ」などと話した。
 その上で地盤を譲る田中氏について「12年間、秘書として私を支えてくれた。心置きなく後を託せる人」と紹介。「14区は私の宝。今度は私が田中氏を支え、当選させたい」と述べた。
 田中氏は関西学院大卒。鈴木氏の私設秘書などを経て、2009(平成21)年から公設第1秘書を務めて、鈴木氏を支えてきた。
(後藤康之)

後継の田中氏㊨と握手をする鈴木氏=名古屋の民進党県本部で
後継の田中氏㊨と握手をする鈴木氏=名古屋の民進党県本部で

カテゴリー:政治・行政

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