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しっかり受け止め忘れない

上松さんの亡き弟の遺体写真を見る高校生=豊橋中央高校で
上松さんの亡き弟の遺体写真を見る高校生=豊橋中央高校で

豊橋中央高文化祭で戦争体験者から学ぶ

 1945(昭和20)年8月7日の豊川海軍工廠(しょう)空襲で弟を亡くした豊川市千両町の上松愛子さん(91)は1日、弟の遺体写真を初めて公開した。「弟と年齢の近い高校生たちに戦争の悲惨さを記憶してほしい」。豊橋中央高校文化祭であった戦争体験を学ぶ催しで当時の様子を伝えた。
 催しは文化祭のクラス企画で、これまで豊橋空襲追悼集会や豊川海軍工廠学習会などで学んできた生徒14人が参加。4つのグループに分かれ、上松さんと、豊橋空襲を体験した白井門治さん(91)=豊橋市=や見山英一さん(80)=同、星野清さん(83)=同=ら語り部4人の話を聞いた。
 当時、14歳だった上松さんの弟・武良次さんは学徒動員され海軍工廠で働いていたが、2500人以上が犠牲になった同工廠の空襲で亡くなった。
 知らせを受けた上松さんは、母親と共にその場で泣き崩れたという。遺体はすぐに父親がリヤカーで運んだが、工廠へと戻され、遺骨はおろか、その年の6月にあった豊橋空襲で家が全焼していたため遺品さえも残っていない。
 写真には、腹部が血で染まり静かに目を閉じる武良次さんが写る。上松さんは高校生たちに見せながら「弟は真面目で優しい本当にいい子だった。戦争で被害を受けるのは全て庶民」と訴えた。
 企画した1年F組の岩崎和喜さん(15)は「戦争体験者の思いを自分の耳で聞き、しっかり受け止め忘れないでいたい」と話した。
(飯塚雪)

豊橋中央高文化祭で戦争体験者から学ぶ

 1945(昭和20)年8月7日の豊川海軍工廠(しょう)空襲で弟を亡くした豊川市千両町の上松愛子さん(91)は1日、弟の遺体写真を初めて公開した。「弟と年齢の近い高校生たちに戦争の悲惨さを記憶してほしい」。豊橋中央高校文化祭であった戦争体験を学ぶ催しで当時の様子を伝えた。
 催しは文化祭のクラス企画で、これまで豊橋空襲追悼集会や豊川海軍工廠学習会などで学んできた生徒14人が参加。4つのグループに分かれ、上松さんと、豊橋空襲を体験した白井門治さん(91)=豊橋市=や見山英一さん(80)=同、星野清さん(83)=同=ら語り部4人の話を聞いた。
 当時、14歳だった上松さんの弟・武良次さんは学徒動員され海軍工廠で働いていたが、2500人以上が犠牲になった同工廠の空襲で亡くなった。
 知らせを受けた上松さんは、母親と共にその場で泣き崩れたという。遺体はすぐに父親がリヤカーで運んだが、工廠へと戻され、遺骨はおろか、その年の6月にあった豊橋空襲で家が全焼していたため遺品さえも残っていない。
 写真には、腹部が血で染まり静かに目を閉じる武良次さんが写る。上松さんは高校生たちに見せながら「弟は真面目で優しい本当にいい子だった。戦争で被害を受けるのは全て庶民」と訴えた。
 企画した1年F組の岩崎和喜さん(15)は「戦争体験者の思いを自分の耳で聞き、しっかり受け止め忘れないでいたい」と話した。
(飯塚雪)

上松さんの亡き弟の遺体写真を見る高校生=豊橋中央高校で
上松さんの亡き弟の遺体写真を見る高校生=豊橋中央高校で

カテゴリー:地域・教育

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