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高校教科書表紙に多々内さんの作品

自作品が表紙を飾る教科書と多々内さん=東愛知新聞社で
自作品が表紙を飾る教科書と多々内さん=東愛知新聞社で
採用された日展入選作「あるべきようは-道-」
採用された日展入選作「あるべきようは-道-」

 広島原爆ドーム近くで生まれた染織画家・多々内都子さん(73)=豊橋市牛川薬師町=の2014年日展入選作品が、第一学習社刊・高校国語教科書「古典B」の表紙絵に採用された。来春から全国の高校生が同教科書を使うが、孫の多々内風花さん(岡崎・光ヶ丘高校2年)もその1人だ。さらに第一学習社は草創期、ドーム近くに本社を構えていたという。
 不思議な縁を明かす多々内さんは、1944年生まれ。翌年の原爆投下時、約60㌔離れた三次市にいて無事だったが、父(飯田章三氏)が爆死している。「毎日ドームを見ながら、大きくなりました」。
 日本政策投資銀行広島支店に勤務していた24歳の時、新城市出身の同僚・正寛さんと結婚。転勤先の金沢市(76~80年)で染織工芸を始め、この道40年になる。白い絹地の上に、色のりが入った筒先を使い、綿密な線描きを施していく。「ほんわりとした色合い。糸目1本1本に無限の可能性があります」と、その魅力を語る多々内さん。98年の日展初入選以来、計12回も入選を果たしてきた。
 夫の名古屋支店転勤に伴い、94年から豊橋で活動。今回表紙を飾る絵は、自宅で描いた「あるべきようは-道-」というタイトルの大作(F100号)だ。「完成までに3カ月かかりました」。
 第一学習社では、多々内さんが広島出身であることを知らずに、ラブコールを送ったという。「びっくりしました。もっと偉い人がたくさんいらっしゃるのに」と謙遜する多々内さん。現在一人暮らし。「まずは今まで通り、静かにつくっていきます。できるだけ長く続けたいですね」と話した。
(藤田彰彦)

 広島原爆ドーム近くで生まれた染織画家・多々内都子さん(73)=豊橋市牛川薬師町=の2014年日展入選作品が、第一学習社刊・高校国語教科書「古典B」の表紙絵に採用された。来春から全国の高校生が同教科書を使うが、孫の多々内風花さん(岡崎・光ヶ丘高校2年)もその1人だ。さらに第一学習社は草創期、ドーム近くに本社を構えていたという。
 不思議な縁を明かす多々内さんは、1944年生まれ。翌年の原爆投下時、約60㌔離れた三次市にいて無事だったが、父(飯田章三氏)が爆死している。「毎日ドームを見ながら、大きくなりました」。
 日本政策投資銀行広島支店に勤務していた24歳の時、新城市出身の同僚・正寛さんと結婚。転勤先の金沢市(76~80年)で染織工芸を始め、この道40年になる。白い絹地の上に、色のりが入った筒先を使い、綿密な線描きを施していく。「ほんわりとした色合い。糸目1本1本に無限の可能性があります」と、その魅力を語る多々内さん。98年の日展初入選以来、計12回も入選を果たしてきた。
 夫の名古屋支店転勤に伴い、94年から豊橋で活動。今回表紙を飾る絵は、自宅で描いた「あるべきようは-道-」というタイトルの大作(F100号)だ。「完成までに3カ月かかりました」。
 第一学習社では、多々内さんが広島出身であることを知らずに、ラブコールを送ったという。「びっくりしました。もっと偉い人がたくさんいらっしゃるのに」と謙遜する多々内さん。現在一人暮らし。「まずは今まで通り、静かにつくっていきます。できるだけ長く続けたいですね」と話した。
(藤田彰彦)

自作品が表紙を飾る教科書と多々内さん=東愛知新聞社で
自作品が表紙を飾る教科書と多々内さん=東愛知新聞社で
採用された日展入選作「あるべきようは-道-」
採用された日展入選作「あるべきようは-道-」

カテゴリー:社会・経済 / 地域・教育

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