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豊橋東部中2年の田中君 津軽三味線のプロ奏者に

研ぎ澄まされた高音と激しいリズム。見事なバチさばきを披露する田中風真君=東愛知新聞社で
研ぎ澄まされた高音と激しいリズム。見事なバチさばきを披露する田中風真君=東愛知新聞社で

 豊橋市東部中2年の田中風真君(14)が、津軽三味線のプロ奏者として、近くデビューを飾ることになった。若手トップクラス10人が集結するユニット「疾風」の最年少奏者として、リーダーである吉田兄弟の弟(健一さん)から今月、メンバー入りを許された。飯村小2年の時「プロになる」と決めた風真君。長年の夢がかなったのを機に、東愛知新聞社で抱負を述べた。
 風真君は幼少時、会社員の父・鉄治さんがかけた寺内タケシ氏演奏「津軽じょんがら節」を、一日じゅう聴いていたという。5歳の誕生日(7月)で鉄治さんが「プレゼントは何がいい?」ときいたところ、寺内氏のコンサートに行きたいと答え、実際に名古屋まで聴きに連れて行った。同年12月から自宅近くの津軽三味線教室「雅會」に通い、小学3年時には「津軽三味線日本一決定戦」C級(演奏歴おおむねね3年未満者)で優勝。今年は同決定戦・上級男子の部で優勝するなど、実力を伸ばしてきた。
 「人を楽しませるのが大好き」という風真君。ボランティアとして高齢者施設などでバチさばきを披露し、喝さいを浴びることで舞台度胸も磨いてきた。あこがれの「疾風」に入るため、自ら吉田健一さんにデモ演奏を送って売り込み、疾風リリースのアルバムに収録された20近い曲をマスター。晴れて11人目のメンバーとして認められ、プロステージに上がるけい古を付けてもらうため、東京まで通うことになった。
 疾風は東京港区を拠点としながらも、メンバーは地元の活動を大事にし、疾風以外でもソロの演奏家として活躍することができる。風真君も「地元の高校に進む」と決めていて、当面学業とプロ活動を両立させる考え。「自分の演奏が人の力になるよう頑張りたい。1人でも“聴いてよかった”“元気になった”と言ってもらえるようにしたい」。中学生のプロアーチストは、デビューを前に熱く語った。
(藤田彰彦)

 豊橋市東部中2年の田中風真君(14)が、津軽三味線のプロ奏者として、近くデビューを飾ることになった。若手トップクラス10人が集結するユニット「疾風」の最年少奏者として、リーダーである吉田兄弟の弟(健一さん)から今月、メンバー入りを許された。飯村小2年の時「プロになる」と決めた風真君。長年の夢がかなったのを機に、東愛知新聞社で抱負を述べた。
 風真君は幼少時、会社員の父・鉄治さんがかけた寺内タケシ氏演奏「津軽じょんがら節」を、一日じゅう聴いていたという。5歳の誕生日(7月)で鉄治さんが「プレゼントは何がいい?」ときいたところ、寺内氏のコンサートに行きたいと答え、実際に名古屋まで聴きに連れて行った。同年12月から自宅近くの津軽三味線教室「雅會」に通い、小学3年時には「津軽三味線日本一決定戦」C級(演奏歴おおむねね3年未満者)で優勝。今年は同決定戦・上級男子の部で優勝するなど、実力を伸ばしてきた。
 「人を楽しませるのが大好き」という風真君。ボランティアとして高齢者施設などでバチさばきを披露し、喝さいを浴びることで舞台度胸も磨いてきた。あこがれの「疾風」に入るため、自ら吉田健一さんにデモ演奏を送って売り込み、疾風リリースのアルバムに収録された20近い曲をマスター。晴れて11人目のメンバーとして認められ、プロステージに上がるけい古を付けてもらうため、東京まで通うことになった。
 疾風は東京港区を拠点としながらも、メンバーは地元の活動を大事にし、疾風以外でもソロの演奏家として活躍することができる。風真君も「地元の高校に進む」と決めていて、当面学業とプロ活動を両立させる考え。「自分の演奏が人の力になるよう頑張りたい。1人でも“聴いてよかった”“元気になった”と言ってもらえるようにしたい」。中学生のプロアーチストは、デビューを前に熱く語った。
(藤田彰彦)

研ぎ澄まされた高音と激しいリズム。見事なバチさばきを披露する田中風真君=東愛知新聞社で
研ぎ澄まされた高音と激しいリズム。見事なバチさばきを披露する田中風真君=東愛知新聞社で

カテゴリー:社会・経済

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