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田原から女子プロ野球選手誕生

カテゴリー:スポーツ

愛用のキャッチャーミットを構える青木さん=田原市内で
愛用のキャッチャーミットを構える青木さん=田原市内で
小学6年生だった頃の青木さん(彦坂総監督提供)
小学6年生だった頃の青木さん(彦坂総監督提供)

 田原市から女子プロ野球選手が誕生した。至学館高校(名古屋市)3年で、女子硬式野球部元主将の青木悠華さん(18)=同市立東部中学校卒業。身長149㌢、右投げ・左打ちの捕手。関係者によると、市内からは史上初めて。夢を実現させた青木さんは「女子プロ野球のおかげで私は夢を持つことができた。レギュラーを勝ち取りたいのはもちろんですが『女の子でも、小さな体でも野球はやれるんだよ』ということを証明したい」と笑顔を見せる。
 父と兄の姿を見て、小学2年生から地元の神戸スポーツ少年団で野球を始めた。中学でも野球を続ける意思はあったが、事情により女子ソフトボール部に。上級生が引退し、捕手が不在となったところ、監督に強肩を買われ「チームのために貢献できる」(青木さん)と迷いなく捕手へ転向した。「ソフトボールは楽しかったけど、本当は『野球、いいなあ』と思ってました」。同じグラウンドで練習する野球部の風景が目に浮かぶ。
 野球への熱は高まり、進学先は女子硬式野球部があるかないかで考えた。「野球がやれるなら頑張ろうと思えた」と、猛勉強の末に学力特待生で至学館へ。しかし、思い描いていた高校野球生活は度重なる故障に悩まされ、鳴かず飛ばず。レギュラーの定着も飛び石だったという。
 それでも、野球への熱は冷めなかった。初めて女子プロ野球の試合を観戦したのは中学2年。「女子でも野球やっていいんだ」と思った。既に高校時代にはプロの世界へという決意は固く、夢は明確だった。
 昨年夏に挑戦した入団テストは1次で落選。諦めかけたが、ずっと夢見ていた女子プロ野球の世界。再挑戦した11月のテストは1次を通過し、2次の紅白戦では捕手として4打席3打数2安打1四球と躍動した。「とにかく楽しくて。やりたいようにやろうと思いました。開き直って純粋に楽しめたので、緊張もなかったです」。見事、合格を果たした。
 彦坂良和・神戸スポーツ少年団総監督は、小学校時代の青木さんをこう振り返る。「根性があったし、スローイングも正確だった」。芯を外さない打撃センスもあったという。青木さんが「泣きながらノックを受けていた」ことを懐かしむ。チームメイトに「みんで勝ちたくて」と手首に巻くミサンガを手作りしてプレゼントしたこともあった青木さん。「努力家で思いやりのある優しい子。チームの一員として、礼儀をわきまえつつ、体を大切にレギュラーを目指してほしい」と教え子の活躍に目を細める。
 日本女子プロ野球機構(JWBL)の方針で原則2年間、京都の育成球団「レイア」に青木さんは所属。「しっかりと投手をリードできる捕手。盗塁をばんばん刺して、チームを助け、チームを支えられる捕手になりたい」と理想の選手像に向けて一歩を踏み出す。
(千葉敬也)

 田原市から女子プロ野球選手が誕生した。至学館高校(名古屋市)3年で、女子硬式野球部元主将の青木悠華さん(18)=同市立東部中学校卒業。身長149㌢、右投げ・左打ちの捕手。関係者によると、市内からは史上初めて。夢を実現させた青木さんは「女子プロ野球のおかげで私は夢を持つことができた。レギュラーを勝ち取りたいのはもちろんですが『女の子でも、小さな体でも野球はやれるんだよ』ということを証明したい」と笑顔を見せる。
 父と兄の姿を見て、小学2年生から地元の神戸スポーツ少年団で野球を始めた。中学でも野球を続ける意思はあったが、事情により女子ソフトボール部に。上級生が引退し、捕手が不在となったところ、監督に強肩を買われ「チームのために貢献できる」(青木さん)と迷いなく捕手へ転向した。「ソフトボールは楽しかったけど、本当は『野球、いいなあ』と思ってました」。同じグラウンドで練習する野球部の風景が目に浮かぶ。
 野球への熱は高まり、進学先は女子硬式野球部があるかないかで考えた。「野球がやれるなら頑張ろうと思えた」と、猛勉強の末に学力特待生で至学館へ。しかし、思い描いていた高校野球生活は度重なる故障に悩まされ、鳴かず飛ばず。レギュラーの定着も飛び石だったという。
 それでも、野球への熱は冷めなかった。初めて女子プロ野球の試合を観戦したのは中学2年。「女子でも野球やっていいんだ」と思った。既に高校時代にはプロの世界へという決意は固く、夢は明確だった。
 昨年夏に挑戦した入団テストは1次で落選。諦めかけたが、ずっと夢見ていた女子プロ野球の世界。再挑戦した11月のテストは1次を通過し、2次の紅白戦では捕手として4打席3打数2安打1四球と躍動した。「とにかく楽しくて。やりたいようにやろうと思いました。開き直って純粋に楽しめたので、緊張もなかったです」。見事、合格を果たした。
 彦坂良和・神戸スポーツ少年団総監督は、小学校時代の青木さんをこう振り返る。「根性があったし、スローイングも正確だった」。芯を外さない打撃センスもあったという。青木さんが「泣きながらノックを受けていた」ことを懐かしむ。チームメイトに「みんで勝ちたくて」と手首に巻くミサンガを手作りしてプレゼントしたこともあった青木さん。「努力家で思いやりのある優しい子。チームの一員として、礼儀をわきまえつつ、体を大切にレギュラーを目指してほしい」と教え子の活躍に目を細める。
 日本女子プロ野球機構(JWBL)の方針で原則2年間、京都の育成球団「レイア」に青木さんは所属。「しっかりと投手をリードできる捕手。盗塁をばんばん刺して、チームを助け、チームを支えられる捕手になりたい」と理想の選手像に向けて一歩を踏み出す。
(千葉敬也)

愛用のキャッチャーミットを構える青木さん=田原市内で
愛用のキャッチャーミットを構える青木さん=田原市内で
小学6年生だった頃の青木さん(彦坂総監督提供)
小学6年生だった頃の青木さん(彦坂総監督提供)

カテゴリー:スポーツ

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