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豊川のおもちゃ病院 東北被災地を思い玩具の修理

持ち込まれた玩具を修理するおもちゃ病院のメンバー=国府東地区市民館で
持ち込まれた玩具を修理するおもちゃ病院のメンバー=国府東地区市民館で

 被災地の子どもたちの笑顔と、亡き友の遺志を胸に活動を続ける団体がある。豊川市の国府東地区市民館おもちゃ病院(浅井茂徳代表)は発足13年目を迎え、10日も久保町の同館で玩具の無料修理に励んだ。
 浅井代表ら7人は、市社会福祉協議会の講習で得た技術と工具を使い、家族連れが持ち込む壊れた玩具の修理を受け付ける。すぐに直せず“入院”となった玩具を持ってきた女の子には「必ず直すからね」と声をかけた。毎月第2土曜の午前中に開院し、ここ2年は年間30件以上を診療。12年間で332件を請け負った。
 7年前のきょう11日、東日本大震災が発生。約3カ月後、避難所生活を送る子どもを励まそうと玩具を送った。市内12の保育園の父母や市民から約15000点の玩具が集まり、掃除や修理を経て、トラックで宮城県女川町へ運んだ。57個に及ぶ段ボール箱やガソリンなどの費用は地元企業や団体が支援してくれた。
 7月、女川町での夏祭りで玩具が配られると、現地の子どもらから感謝の手紙が届いた。「しんさいでおもちゃがもらえないと思ったけど、あいち県のみんなのおかげでもらえました」「たいせつにつかいます」。多くの言葉に、浅井代表は「すごく喜んでくれたみたいで、私らも励まされた」と振り返る。手紙は市内の保育園で掲示した。
 中心的存在で精力的に活動し、女川町にも赴いた福田悦久さんが先月14日、77歳で亡くなった。体調を崩していた昨年12月も修理に励んでいた。
 福田さんと一緒に被災地に行った山本雅堂さん(80)は「本来なら継続的に支援したいけど、資金的にも体力的にも問題がある。でも、もう一度みんなで女川に行って、元気になった子たちの笑顔を見て、東北のおいしいものを食べたい。福田さんも行きたかったはず」と話す。
 被災地に贈った元気の芽が成長し、それが支援者らの生きがいにもつながっている。
(由本裕貴)

 被災地の子どもたちの笑顔と、亡き友の遺志を胸に活動を続ける団体がある。豊川市の国府東地区市民館おもちゃ病院(浅井茂徳代表)は発足13年目を迎え、10日も久保町の同館で玩具の無料修理に励んだ。
 浅井代表ら7人は、市社会福祉協議会の講習で得た技術と工具を使い、家族連れが持ち込む壊れた玩具の修理を受け付ける。すぐに直せず“入院”となった玩具を持ってきた女の子には「必ず直すからね」と声をかけた。毎月第2土曜の午前中に開院し、ここ2年は年間30件以上を診療。12年間で332件を請け負った。
 7年前のきょう11日、東日本大震災が発生。約3カ月後、避難所生活を送る子どもを励まそうと玩具を送った。市内12の保育園の父母や市民から約15000点の玩具が集まり、掃除や修理を経て、トラックで宮城県女川町へ運んだ。57個に及ぶ段ボール箱やガソリンなどの費用は地元企業や団体が支援してくれた。
 7月、女川町での夏祭りで玩具が配られると、現地の子どもらから感謝の手紙が届いた。「しんさいでおもちゃがもらえないと思ったけど、あいち県のみんなのおかげでもらえました」「たいせつにつかいます」。多くの言葉に、浅井代表は「すごく喜んでくれたみたいで、私らも励まされた」と振り返る。手紙は市内の保育園で掲示した。
 中心的存在で精力的に活動し、女川町にも赴いた福田悦久さんが先月14日、77歳で亡くなった。体調を崩していた昨年12月も修理に励んでいた。
 福田さんと一緒に被災地に行った山本雅堂さん(80)は「本来なら継続的に支援したいけど、資金的にも体力的にも問題がある。でも、もう一度みんなで女川に行って、元気になった子たちの笑顔を見て、東北のおいしいものを食べたい。福田さんも行きたかったはず」と話す。
 被災地に贈った元気の芽が成長し、それが支援者らの生きがいにもつながっている。
(由本裕貴)

持ち込まれた玩具を修理するおもちゃ病院のメンバー=国府東地区市民館で
持ち込まれた玩具を修理するおもちゃ病院のメンバー=国府東地区市民館で

カテゴリー:社会・経済

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