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フクシマ・ルポ⑤

カテゴリー:特集

津波で1階部分が損傷した家屋。遠方には汚染物、福島第1原発の排気塔が見える=浪江町請戸で
津波で1階部分が損傷した家屋。遠方には汚染物、福島第1原発の排気塔が見える=浪江町請戸で
太平洋を望むように慰霊碑が立つ大平山霊園=同
太平洋を望むように慰霊碑が立つ大平山霊園=同

津波と放射能に襲われた浪江町請戸地区

 浪江町の中心部から東へ約3㌔。請戸地区は太平洋に面する漁港の集落だ。津波による浪江町の犠牲者184人のうち、実に125人がこの請戸で命を落とした。原発事故により昨年3月まで避難指示が続き、津波と放射能の両方に襲われた地域の一つだ。
 除染も終わり、岸壁や防波堤などの整備工事が進んでいた。漁港には昨年2月、係留場所を移していた南相馬市から漁船が戻り、今年正月に大正時代から続く出初め式が行われた。ただ、原発から10㌔以上離れた海域での操業はできるが、今も請戸沖での漁はできない。
 かろうじて残った防潮林の木々と、2階建ての家が数えるほど立つ。家は1階部分が骨組みだけになり、津波に襲われた痕跡が明らかだ。ここは福島第1原発から約7㌔の距離。遠方には、災厄の根源の排気塔を望むことができる。
 海岸から約2㌔の地点。小高い丘に墓が立ち並んでいた。町内で犠牲になった人たちの名前が刻まれた慰霊碑も立つ「大平山霊園」だ。
 地震発生直後、海岸から約300㍍の距離にある請戸小学校の子どもたちはこの大平山を目指して避難した。到着してから10分も経たずに、学校は波にのみ込まれた。当日登校していた児童約80人は全員が無事だった。
 請戸地区は集団移転するための高台の工事がまだ始まっておらず、多くの人が町外で避難生活を送る。住民らは定期的に町役場が手配する観光バスで視察に訪れているが、記者が霊園を出ようとした際も、ちょうどバスが通りかかった。中に座る人たちは、窓越しに霊園に向かって頭を下げ、合掌していた。
(由本裕貴)

津波と放射能に襲われた浪江町請戸地区

 浪江町の中心部から東へ約3㌔。請戸地区は太平洋に面する漁港の集落だ。津波による浪江町の犠牲者184人のうち、実に125人がこの請戸で命を落とした。原発事故により昨年3月まで避難指示が続き、津波と放射能の両方に襲われた地域の一つだ。
 除染も終わり、岸壁や防波堤などの整備工事が進んでいた。漁港には昨年2月、係留場所を移していた南相馬市から漁船が戻り、今年正月に大正時代から続く出初め式が行われた。ただ、原発から10㌔以上離れた海域での操業はできるが、今も請戸沖での漁はできない。
 かろうじて残った防潮林の木々と、2階建ての家が数えるほど立つ。家は1階部分が骨組みだけになり、津波に襲われた痕跡が明らかだ。ここは福島第1原発から約7㌔の距離。遠方には、災厄の根源の排気塔を望むことができる。
 海岸から約2㌔の地点。小高い丘に墓が立ち並んでいた。町内で犠牲になった人たちの名前が刻まれた慰霊碑も立つ「大平山霊園」だ。
 地震発生直後、海岸から約300㍍の距離にある請戸小学校の子どもたちはこの大平山を目指して避難した。到着してから10分も経たずに、学校は波にのみ込まれた。当日登校していた児童約80人は全員が無事だった。
 請戸地区は集団移転するための高台の工事がまだ始まっておらず、多くの人が町外で避難生活を送る。住民らは定期的に町役場が手配する観光バスで視察に訪れているが、記者が霊園を出ようとした際も、ちょうどバスが通りかかった。中に座る人たちは、窓越しに霊園に向かって頭を下げ、合掌していた。
(由本裕貴)

津波で1階部分が損傷した家屋。遠方には汚染物、福島第1原発の排気塔が見える=浪江町請戸で
津波で1階部分が損傷した家屋。遠方には汚染物、福島第1原発の排気塔が見える=浪江町請戸で
太平洋を望むように慰霊碑が立つ大平山霊園=同
太平洋を望むように慰霊碑が立つ大平山霊園=同

カテゴリー:特集

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