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東愛知ヒストリア21・豊川・赤坂など壊滅?江戸時代に津波デマ瓦版

津波の誤報記事を載せる「東海道地震津波末代噺種」(早稲田大学図書館所蔵)の複写
津波の誤報記事を載せる「東海道地震津波末代噺種」(早稲田大学図書館所蔵)の複写

 宿場町に津波が襲来した言い伝えはデマだった―。江戸時代には世の中の出来事を伝える情報紙「瓦版」が出回ったが、中には事実と異なる内容の記事も少なくなかった。いつの時代にも、大衆を惑わす“ゴシップ誌”が存在した。
 江戸時代後期の1854(嘉永7)年12月23日、現在の南海トラフを震源とする「安政東海地震」が起きた。太平洋沿岸で最大20㍍以上の津波が発生し、3000人近い死者が出たとされる。
 この時、津波が三河湾から音羽川を逆流し、当時は東海道沿いの宿場町として栄えた御油宿(豊川市御油町)や赤坂宿(赤坂町)にまで到達したという逸話がある。しかし、この地域は海岸から遠く、標高も30~40㍍の位置にあることから、デマだという言い伝えがある。
 当時、地震による被害の様子を伝える多くの瓦版が発行された。早稲田大学図書館に所蔵される「東海道地震津波末代噺種」には、赤坂は「津波で7割が流された」、御油は「大地震で多くの家が崩れ、その後の津波でほとんどが流された」という内容が書かれ、家屋が流される挿絵まで掲載している。
 しかし、これを否定する資料がある。東京都立中央図書館に所蔵される「鶴梁林先生日記」によると、地震発生3日後に赤坂出張陣屋の役人が、支配代官に「藤川、赤坂、御油宿では揺れはたいしたことはなかった」と報告。津波の被害すら話題に挙げていない。
 瓦版がその後、史料集の一部として活字となり、公刊されたことで、「誤報」が後世に語り継がれたと推測される。これら資料は市桜ヶ丘ミュージアムの企画展「人びとのくらしと災害」で紹介されている。
(由本裕貴)

 宿場町に津波が襲来した言い伝えはデマだった―。江戸時代には世の中の出来事を伝える情報紙「瓦版」が出回ったが、中には事実と異なる内容の記事も少なくなかった。いつの時代にも、大衆を惑わす“ゴシップ誌”が存在した。
 江戸時代後期の1854(嘉永7)年12月23日、現在の南海トラフを震源とする「安政東海地震」が起きた。太平洋沿岸で最大20㍍以上の津波が発生し、3000人近い死者が出たとされる。
 この時、津波が三河湾から音羽川を逆流し、当時は東海道沿いの宿場町として栄えた御油宿(豊川市御油町)や赤坂宿(赤坂町)にまで到達したという逸話がある。しかし、この地域は海岸から遠く、標高も30~40㍍の位置にあることから、デマだという言い伝えがある。
 当時、地震による被害の様子を伝える多くの瓦版が発行された。早稲田大学図書館に所蔵される「東海道地震津波末代噺種」には、赤坂は「津波で7割が流された」、御油は「大地震で多くの家が崩れ、その後の津波でほとんどが流された」という内容が書かれ、家屋が流される挿絵まで掲載している。
 しかし、これを否定する資料がある。東京都立中央図書館に所蔵される「鶴梁林先生日記」によると、地震発生3日後に赤坂出張陣屋の役人が、支配代官に「藤川、赤坂、御油宿では揺れはたいしたことはなかった」と報告。津波の被害すら話題に挙げていない。
 瓦版がその後、史料集の一部として活字となり、公刊されたことで、「誤報」が後世に語り継がれたと推測される。これら資料は市桜ヶ丘ミュージアムの企画展「人びとのくらしと災害」で紹介されている。
(由本裕貴)

津波の誤報記事を載せる「東海道地震津波末代噺種」(早稲田大学図書館所蔵)の複写
津波の誤報記事を載せる「東海道地震津波末代噺種」(早稲田大学図書館所蔵)の複写

カテゴリー:社会・経済 / コラム

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