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池田輝政時代の遺物 吉田城から出土の「桐紋鬼瓦」

輝政時代の遺物と分かった桐紋鬼瓦=豊橋市役所で
輝政時代の遺物と分かった桐紋鬼瓦=豊橋市役所で

 豊橋市教育委員会は10日、所蔵する吉田城から出土したとされる「桐紋鬼瓦」が城づくりの名手・池田輝政が城主だった時代(1590~1600年)の遺物だと発表した。桐紋は権威の象徴。当時、戦国時代の豊臣秀吉政権下にあって、輝政や吉田城が重要な大名、城だったことが浮かび上がる。鬼瓦は、市美術博物館で21日から始まる企画展で初めて公開される。
 桐紋鬼瓦は半分ほどが欠けた状態で、大きさが幅41・6㌢、高さ38・1㌢、厚さは最大で10㌢程度。近年、城の瓦の研究が進む中、市教委は、その構造と時代考証から輝政時代に作られたとみている。
 構造上、1593~1600年頃の制作。一方、桐紋は政権を担う統治者が使用できる紋様で、桐紋を与えられていた織田信長は家臣に与えていなく、当時の吉田城主は瓦を用いていなかった。1586年に太政大臣になった秀吉は朝廷から桐紋を与えられ、限られた大名に桐紋瓦の使用を許可。その後の徳川家康時代には、豊臣政権を象徴する桐紋を用いるのは考えがたく、輝政時代の瓦と判断した。
 豊臣政権下では、大阪城など秀吉や一族の城、甲府城など関東の家康領近接地の城といった重要な城に桐紋瓦が用いられた。東海3県では、清洲城(清須市)で出土しているだけで、輝政が秀吉に認められた有力大名だったと言えるという。
 同時に、吉田城は東海道や三河湾に面し、商業や軍事上の要衝として重要な城だったことも示している。
 鬼瓦は古くから「魔除け」「飾り瓦」とて屋根瓦に用いられ、市教委は「吉田城の天守か、やぐら、門に使われていたと考えられるが、天守の可能性が高い」と推測している。
 桐紋鬼瓦が展示されるのは、企画展「みかわの城-吉田城と天下人」。9月9日まで開催され、無料で観覧できる。
(中村晋也)

 豊橋市教育委員会は10日、所蔵する吉田城から出土したとされる「桐紋鬼瓦」が城づくりの名手・池田輝政が城主だった時代(1590~1600年)の遺物だと発表した。桐紋は権威の象徴。当時、戦国時代の豊臣秀吉政権下にあって、輝政や吉田城が重要な大名、城だったことが浮かび上がる。鬼瓦は、市美術博物館で21日から始まる企画展で初めて公開される。
 桐紋鬼瓦は半分ほどが欠けた状態で、大きさが幅41・6㌢、高さ38・1㌢、厚さは最大で10㌢程度。近年、城の瓦の研究が進む中、市教委は、その構造と時代考証から輝政時代に作られたとみている。
 構造上、1593~1600年頃の制作。一方、桐紋は政権を担う統治者が使用できる紋様で、桐紋を与えられていた織田信長は家臣に与えていなく、当時の吉田城主は瓦を用いていなかった。1586年に太政大臣になった秀吉は朝廷から桐紋を与えられ、限られた大名に桐紋瓦の使用を許可。その後の徳川家康時代には、豊臣政権を象徴する桐紋を用いるのは考えがたく、輝政時代の瓦と判断した。
 豊臣政権下では、大阪城など秀吉や一族の城、甲府城など関東の家康領近接地の城といった重要な城に桐紋瓦が用いられた。東海3県では、清洲城(清須市)で出土しているだけで、輝政が秀吉に認められた有力大名だったと言えるという。
 同時に、吉田城は東海道や三河湾に面し、商業や軍事上の要衝として重要な城だったことも示している。
 鬼瓦は古くから「魔除け」「飾り瓦」とて屋根瓦に用いられ、市教委は「吉田城の天守か、やぐら、門に使われていたと考えられるが、天守の可能性が高い」と推測している。
 桐紋鬼瓦が展示されるのは、企画展「みかわの城-吉田城と天下人」。9月9日まで開催され、無料で観覧できる。
(中村晋也)

輝政時代の遺物と分かった桐紋鬼瓦=豊橋市役所で
輝政時代の遺物と分かった桐紋鬼瓦=豊橋市役所で

カテゴリー:社会・経済 / 地域・教育

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