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新城市設楽原歴史資料館で岩瀬忠震展

忠震が遺した書画が見られる企画展=新城市設楽原歴史資料館で
忠震が遺した書画が見られる企画展=新城市設楽原歴史資料館で

 幕末の外交官として活動した新城ゆかりの岩瀬忠震(ただなり、1818-1861)を紹介する企画展が、新城市設楽原歴史資料館で開かれている。生誕200年を記念し、忠震が描いた書画など30点を展示している。9月14日まで。
 岩瀬忠震は江戸時代に設楽原(新城市東郷地区)を拠点とした旗本・設楽貞丈の3男として生まれた。養子となり、徳川家の家臣となった幕末には鎖国だった日本に「開国すべし」と唱えたという。
 展示しているのは同館や個人蔵の書や絵がほとんど。1857(安政4)年には長崎出張を命ぜられ、道中に立ち寄った「布引の滝」の水墨画、長崎での出来事を詠んだ漢詩などが見られる。
 またイギリス人が中国で出版した本を忠震が日本向けに漢文にした「地理全誌」、日英修好通商条約で全権を握っていたエルギン卿遣日使節録(1859)など功績を証明する資料も展示する。
 湯浅大司学芸員は「外交官としての実績だけでなく書や絵画など文化的素養がある人柄も知ってもらえれば」と話している。
(安藤聡)

 幕末の外交官として活動した新城ゆかりの岩瀬忠震(ただなり、1818-1861)を紹介する企画展が、新城市設楽原歴史資料館で開かれている。生誕200年を記念し、忠震が描いた書画など30点を展示している。9月14日まで。
 岩瀬忠震は江戸時代に設楽原(新城市東郷地区)を拠点とした旗本・設楽貞丈の3男として生まれた。養子となり、徳川家の家臣となった幕末には鎖国だった日本に「開国すべし」と唱えたという。
 展示しているのは同館や個人蔵の書や絵がほとんど。1857(安政4)年には長崎出張を命ぜられ、道中に立ち寄った「布引の滝」の水墨画、長崎での出来事を詠んだ漢詩などが見られる。
 またイギリス人が中国で出版した本を忠震が日本向けに漢文にした「地理全誌」、日英修好通商条約で全権を握っていたエルギン卿遣日使節録(1859)など功績を証明する資料も展示する。
 湯浅大司学芸員は「外交官としての実績だけでなく書や絵画など文化的素養がある人柄も知ってもらえれば」と話している。
(安藤聡)

忠震が遺した書画が見られる企画展=新城市設楽原歴史資料館で
忠震が遺した書画が見られる企画展=新城市設楽原歴史資料館で

カテゴリー:社会・経済 / 芸能・文化

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