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田口線廃線50年 のぼり旗はためく旧沿線

のぼり旗と女将の上嶋さん㊨=新城市門谷で
のぼり旗と女将の上嶋さん㊨=新城市門谷で
寄せられた思い出のメモ書きと石井代表=設楽町で
寄せられた思い出のメモ書きと石井代表=設楽町で

 かつて新城市と設楽町を結んでいた田口線が来月1日に廃線から50年が経つのを知らせようと、同町の住民グループ「田口線50の会」(石井峻人代表)は、沿線施設にのぼり旗を立てた。電車が走っていた当時の思い出も100件近く寄せられており、石井代表は関連グッズ制作など半世紀を迎えるにあたり、準備を整えている。
 田口線は新城市長篠にある現在のJR飯田線「本長篠駅」(当初は鳳来寺口)と、設楽町田口(旧田口町田口)地内にあった「三河田口駅」を結んだ全延長22・6㌔のローカル線。1929年に鳳来寺口-三河海老間が開通し、32年に全線開通した。56年に豊橋鉄道田口線となった。山林で伐採された木材の運搬を担い、切り立つ崖や川沿いに線路が敷かれていた。
 同会は50年前までの記憶を次世代につなげようと企画。賛同者からの支援金をもとにのぼり旗を180本製作。鳳来寺駅があった新城市門谷、清崎駅があった設楽町清崎の旧沿線部、道の駅もっくる新城、設楽町役場、同町田口のバスターミナルなどに立てた。
 鳳来寺駅があった場所近くの飲食店「おかめ茶屋」にも設置。電車が運行されていた際にも五平餅を販売していた女将(おかみ)の上嶋幸代さん(88)は「鳳来寺山への登山や参拝客でにぎわっていた。店で一時荷物を預かっており、店内に多く積まれていたのを思い出します」と振り返った。
 同会では運行していた当時の思い出を4月から募集。ハガキや電話、メール、SNSから100件ほど集まった。「中には電話口で泣きながら教えてくれた人もいました」と石井代表。
 寄せられた思い出をもとに「廃線マップ」や、イラストにしてコースターを制作して販売する。また、記念ムービーも作っている。
 イベントでは4日に設楽ダムで水没する田口線の遺構を見るツアー(午後0時半から5時)、廃線から50年となる9月1日には「三河田口駅さよならセレモニー」(午後4時から6時半)、同2日には設楽町内で「廃線50年記念乗車会」(正午から)を計画する。
 問い合わせは設楽町観光協会(0536・62・1000)へ。
(安藤聡)

 かつて新城市と設楽町を結んでいた田口線が来月1日に廃線から50年が経つのを知らせようと、同町の住民グループ「田口線50の会」(石井峻人代表)は、沿線施設にのぼり旗を立てた。電車が走っていた当時の思い出も100件近く寄せられており、石井代表は関連グッズ制作など半世紀を迎えるにあたり、準備を整えている。
 田口線は新城市長篠にある現在のJR飯田線「本長篠駅」(当初は鳳来寺口)と、設楽町田口(旧田口町田口)地内にあった「三河田口駅」を結んだ全延長22・6㌔のローカル線。1929年に鳳来寺口-三河海老間が開通し、32年に全線開通した。56年に豊橋鉄道田口線となった。山林で伐採された木材の運搬を担い、切り立つ崖や川沿いに線路が敷かれていた。
 同会は50年前までの記憶を次世代につなげようと企画。賛同者からの支援金をもとにのぼり旗を180本製作。鳳来寺駅があった新城市門谷、清崎駅があった設楽町清崎の旧沿線部、道の駅もっくる新城、設楽町役場、同町田口のバスターミナルなどに立てた。
 鳳来寺駅があった場所近くの飲食店「おかめ茶屋」にも設置。電車が運行されていた際にも五平餅を販売していた女将(おかみ)の上嶋幸代さん(88)は「鳳来寺山への登山や参拝客でにぎわっていた。店で一時荷物を預かっており、店内に多く積まれていたのを思い出します」と振り返った。
 同会では運行していた当時の思い出を4月から募集。ハガキや電話、メール、SNSから100件ほど集まった。「中には電話口で泣きながら教えてくれた人もいました」と石井代表。
 寄せられた思い出をもとに「廃線マップ」や、イラストにしてコースターを制作して販売する。また、記念ムービーも作っている。
 イベントでは4日に設楽ダムで水没する田口線の遺構を見るツアー(午後0時半から5時)、廃線から50年となる9月1日には「三河田口駅さよならセレモニー」(午後4時から6時半)、同2日には設楽町内で「廃線50年記念乗車会」(正午から)を計画する。
 問い合わせは設楽町観光協会(0536・62・1000)へ。
(安藤聡)

のぼり旗と女将の上嶋さん㊨=新城市門谷で
のぼり旗と女将の上嶋さん㊨=新城市門谷で
寄せられた思い出のメモ書きと石井代表=設楽町で
寄せられた思い出のメモ書きと石井代表=設楽町で

カテゴリー:社会・経済

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