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豊川の太田さん遺族に日章旗返還

山脇市長と、祖父の日章旗を広げる太田芳則さん㊧=豊川市役所で
山脇市長と、祖父の日章旗を広げる太田芳則さん㊧=豊川市役所で

 太平洋戦争で戦死した豊川市出身の太田芳雄さんが持っていた日章旗が10日、市役所で孫の芳則さん(53)に返還された。元米兵とその家族の思いも実り、73年の月日を経て遺族の元に戻った。
 海軍上等水兵だった芳雄さんは旧小坂井町出身で、1944(昭和19)年7月に出征し、海兵団や航空隊に所属。1945年4月24日、米軍との激戦地となったフィリピンのルソン島クラークで34歳の若さで戦死した。
 日章旗は、元米兵で米国イリノイ州在住のマーク・マーゾンさんの祖父が持ち帰り、孫のマークさんまで大切に保管されていた。マークさんが遺族への日章旗返還活動を進める団体「OBONソサエティ」を知り、返還を依頼。日本遺族会や、県や市の遺族連合会の協力もあり、この日山脇実市長も立ち会って返還が実現した。
 日章旗には「必勝」や「祈 武運長久」という激励の言葉と、近隣住民とみられる名前が記されている。芳則さんは芳雄さんの死後に生まれたが「戦争の世の中で祖父が頑張ってくれたことが、今の自分の幸せな家族や平和な毎日につながっていると思う」と感謝した。
 芳雄さんの長男にあたる芳則さんの父・正芳さんは8年前に他界したが、兄弟が4人健在で、芳則さんは「まずは父の墓に持っていき、兄弟にも見てもらいたい。大切に保管し、悔いのない日々を送っていきたい」と話した。
(由本裕貴)

 太平洋戦争で戦死した豊川市出身の太田芳雄さんが持っていた日章旗が10日、市役所で孫の芳則さん(53)に返還された。元米兵とその家族の思いも実り、73年の月日を経て遺族の元に戻った。
 海軍上等水兵だった芳雄さんは旧小坂井町出身で、1944(昭和19)年7月に出征し、海兵団や航空隊に所属。1945年4月24日、米軍との激戦地となったフィリピンのルソン島クラークで34歳の若さで戦死した。
 日章旗は、元米兵で米国イリノイ州在住のマーク・マーゾンさんの祖父が持ち帰り、孫のマークさんまで大切に保管されていた。マークさんが遺族への日章旗返還活動を進める団体「OBONソサエティ」を知り、返還を依頼。日本遺族会や、県や市の遺族連合会の協力もあり、この日山脇実市長も立ち会って返還が実現した。
 日章旗には「必勝」や「祈 武運長久」という激励の言葉と、近隣住民とみられる名前が記されている。芳則さんは芳雄さんの死後に生まれたが「戦争の世の中で祖父が頑張ってくれたことが、今の自分の幸せな家族や平和な毎日につながっていると思う」と感謝した。
 芳雄さんの長男にあたる芳則さんの父・正芳さんは8年前に他界したが、兄弟が4人健在で、芳則さんは「まずは父の墓に持っていき、兄弟にも見てもらいたい。大切に保管し、悔いのない日々を送っていきたい」と話した。
(由本裕貴)

山脇市長と、祖父の日章旗を広げる太田芳則さん㊧=豊川市役所で
山脇市長と、祖父の日章旗を広げる太田芳則さん㊧=豊川市役所で

カテゴリー:社会・経済

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