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大学生が気仙沼訪れ、被災地の声伝える

真っ黒に日焼けして帰って来た山本さん=豊橋公園で
真っ黒に日焼けして帰って来た山本さん=豊橋公園で
被災した人たちが書いた「東北の花」
被災した人たちが書いた「東北の花」

 豊橋市弥生町の名古屋外国語大学2年・山本堅氏さん(20)が15日、自転車で宮城県気仙沼市を訪れる旅を終えた。高校時代以来、2年ぶりにたずねた東日本大震災の被災地。復興は道半ばだが「震災以降、被災した人たちがごく普通のことをできるようになったことや、(国内外の)支援に感謝している気持ちを伝えていきたい」と話す。
 山本さんは私立桜丘高校(豊橋市)時代の3年間、毎年、他の生徒らと気仙沼市へ出掛け、海岸清掃、がれき集めなどのボランティア活動をしてきた。自転車が好きで、卒業後は自転車旅を思い描いていた。熊本地震が発生し、卒業式を終えた昨年3月に早速1人で熊本へ。次はボランティアで訪れていた気仙沼市への自転車旅を考えていたという。今月1日、約2週間の日程で豊橋公園を出発した。
 現地に3泊4日で滞在し、気仙沼・大島にある高校の同級生の実家・旅館に宿泊。「未来に向けた明るい声を伝えたい」と、被災した人たちに震災以降できるようになったことなどを「東北の花」と題し、スケッチブックに書いてもらった。
 「人に気持ちを伝えられるようになった」「今、元気でいられる。温かい声を掛けてくださったボランティアのみなさん。ありがとうございます」や、小学4年生の女の子が書いた「クロールができるようになった」など、16人の声が寄せられた。
 家を流された人からは「『誰に感謝していいのか分からなかったが、感謝を伝える機会を与えてくれてありがとう』と言ってくれた」と山本さん。自転車には「被災地の現状を伝えます」というメッセージを掲示していたため「通りすがりのおじさんからも『頼んだぞ』と声を掛けられた」。
 こうした言葉に、山本さんは「被災した人たちの気持ちを伝えようという思いが強くなった」と話す。
 気仙沼市へ向かう道中は、横断幕「東日本大震災復興応援」(1・2㍍×1㍍)への寄せ書きを求めながら走行した。車を止めて待っていてくれたり、コンビニで休憩中に「書かせて」と言ってきたり。山本さんは「応援しようという人が多く、みんなの声を届けようという気持ちになった」と振り返る。
 横断幕は、桜丘高のボランティア活動でつながりのある気仙沼市のボランティアセンターに寄贈。復興住宅などを訪れる際に横断幕を紹介してもらうことになった。
 走行距離は往復1746㌔。心が折れそうな時もあった山本さんだが、被災した人たちの言葉が励みになり「やり切らなければ」と後押しになったという。
 山本さんは、この旅で得た被災者の声などをまとめ、自身で発信するほか「機会があれば後輩たちや同窓会、小学校などで話をしていきたい。また、さまざな支援をしてくれた国もあるので、国内だけでなく、海外メディアにもPRしていきたい」と話している。
(中村晋也)

 豊橋市弥生町の名古屋外国語大学2年・山本堅氏さん(20)が15日、自転車で宮城県気仙沼市を訪れる旅を終えた。高校時代以来、2年ぶりにたずねた東日本大震災の被災地。復興は道半ばだが「震災以降、被災した人たちがごく普通のことをできるようになったことや、(国内外の)支援に感謝している気持ちを伝えていきたい」と話す。
 山本さんは私立桜丘高校(豊橋市)時代の3年間、毎年、他の生徒らと気仙沼市へ出掛け、海岸清掃、がれき集めなどのボランティア活動をしてきた。自転車が好きで、卒業後は自転車旅を思い描いていた。熊本地震が発生し、卒業式を終えた昨年3月に早速1人で熊本へ。次はボランティアで訪れていた気仙沼市への自転車旅を考えていたという。今月1日、約2週間の日程で豊橋公園を出発した。
 現地に3泊4日で滞在し、気仙沼・大島にある高校の同級生の実家・旅館に宿泊。「未来に向けた明るい声を伝えたい」と、被災した人たちに震災以降できるようになったことなどを「東北の花」と題し、スケッチブックに書いてもらった。
 「人に気持ちを伝えられるようになった」「今、元気でいられる。温かい声を掛けてくださったボランティアのみなさん。ありがとうございます」や、小学4年生の女の子が書いた「クロールができるようになった」など、16人の声が寄せられた。
 家を流された人からは「『誰に感謝していいのか分からなかったが、感謝を伝える機会を与えてくれてありがとう』と言ってくれた」と山本さん。自転車には「被災地の現状を伝えます」というメッセージを掲示していたため「通りすがりのおじさんからも『頼んだぞ』と声を掛けられた」。
 こうした言葉に、山本さんは「被災した人たちの気持ちを伝えようという思いが強くなった」と話す。
 気仙沼市へ向かう道中は、横断幕「東日本大震災復興応援」(1・2㍍×1㍍)への寄せ書きを求めながら走行した。車を止めて待っていてくれたり、コンビニで休憩中に「書かせて」と言ってきたり。山本さんは「応援しようという人が多く、みんなの声を届けようという気持ちになった」と振り返る。
 横断幕は、桜丘高のボランティア活動でつながりのある気仙沼市のボランティアセンターに寄贈。復興住宅などを訪れる際に横断幕を紹介してもらうことになった。
 走行距離は往復1746㌔。心が折れそうな時もあった山本さんだが、被災した人たちの言葉が励みになり「やり切らなければ」と後押しになったという。
 山本さんは、この旅で得た被災者の声などをまとめ、自身で発信するほか「機会があれば後輩たちや同窓会、小学校などで話をしていきたい。また、さまざな支援をしてくれた国もあるので、国内だけでなく、海外メディアにもPRしていきたい」と話している。
(中村晋也)

真っ黒に日焼けして帰って来た山本さん=豊橋公園で
真っ黒に日焼けして帰って来た山本さん=豊橋公園で
被災した人たちが書いた「東北の花」
被災した人たちが書いた「東北の花」

カテゴリー:社会・経済

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