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菜の花で東北被災地を支援

東日本大震災の被災地復興を菜の花で支援している河合さん=田原市堀切町で
東日本大震災の被災地復興を菜の花で支援している河合さん=田原市堀切町で
復興大臣から贈られた感謝状を手にする河合さん(右から2人目・渥美半島観光ビューロー提供)
復興大臣から贈られた感謝状を手にする河合さん(右から2人目・渥美半島観光ビューロー提供)

 東日本大震災の被災地復興支援を、渥美半島の観光関係者らが地元の観光資源の一つ、菜の花で続けている。津波で甚大な被害を受けた岩手県大槌町へ種や義援金を送ったり、現地で菜の花畑作りを手伝ったり。渥美半島観光ビューローには7月、復興大臣から感謝状が贈られた。
 中心になっているのは、渥美半島観光ビューロー菜の花アドバイザーの河合啓治さん(82)=田原市和地町。「啓さん」の愛称で親しまれ、菜の花作りに関わって約40年になる。
 これまでボランティア活動をしていたこともあり、震災後、すぐに体が動いた。愛知県内の観光関係者に相談し、紹介されたのが大槌町。津波で街並みが消えてしまった町で、逆流した大槌川の河川敷に復興のシンボルとして菜の花を咲かせる「菜の花プロジェクト」を知った。
 「とにかく何もないということで」と啓さん。プロジェクトを応援している中部国際空港に協力し、震災の翌年2012(平成24)年から、地元の観光関係者と種や道具、肥料を贈り始めた。
 以来、毎年、3月11日に合わせて菜の花1000本ほどを贈っているほか、有志で現地を訪れ、畑の石拾いからトラクターで耕し、種まきまで手伝う。最初は泊まる場所もなく、庭先まで津波がきた菜の花プロジェクトのリーダー金山文造さん宅に世話になっていたが、少しずつ復興する町とともに「迷惑も掛けるし、一昨年から民宿に泊まっている」。
 金山さんからは「子どもたちが菜の花を見て『うれしい』と言っている」と聞き、啓さんの表情も緩む。
 3年ほど前からは、渥美半島菜の花まつりで一面が“黄色のじゅうたん”に包まれる「菜の花ガーデン」(堀切町)で野菜のバザーを開始。啓さんが畑で作った菜の花やネギ、キャベツ、ハクサイなどを100円で売り、売上を大槌町社会福祉協議会に寄付している。
 もともと地元にあった花のテーマパークの職員だった啓さんは、花の渥美半島を目指す取り組みが始まった1977(昭和52)年から、菜の花作りに携わる。「冬に黄色の花が映え、栽培しやすい」と言い、「1本ではなく、群生美、大面積で見せられる花」と今や渥美半島の代名詞になった菜の花への思い入れは、誰よりも深い。
 歳を重ね、高齢になってきたが「復興するまで続けていく。幸い足腰が丈夫だから。酒も飲める」と笑う啓さん。支援への意欲は衰えない。
(中村晋也)

 東日本大震災の被災地復興支援を、渥美半島の観光関係者らが地元の観光資源の一つ、菜の花で続けている。津波で甚大な被害を受けた岩手県大槌町へ種や義援金を送ったり、現地で菜の花畑作りを手伝ったり。渥美半島観光ビューローには7月、復興大臣から感謝状が贈られた。
 中心になっているのは、渥美半島観光ビューロー菜の花アドバイザーの河合啓治さん(82)=田原市和地町。「啓さん」の愛称で親しまれ、菜の花作りに関わって約40年になる。
 これまでボランティア活動をしていたこともあり、震災後、すぐに体が動いた。愛知県内の観光関係者に相談し、紹介されたのが大槌町。津波で街並みが消えてしまった町で、逆流した大槌川の河川敷に復興のシンボルとして菜の花を咲かせる「菜の花プロジェクト」を知った。
 「とにかく何もないということで」と啓さん。プロジェクトを応援している中部国際空港に協力し、震災の翌年2012(平成24)年から、地元の観光関係者と種や道具、肥料を贈り始めた。
 以来、毎年、3月11日に合わせて菜の花1000本ほどを贈っているほか、有志で現地を訪れ、畑の石拾いからトラクターで耕し、種まきまで手伝う。最初は泊まる場所もなく、庭先まで津波がきた菜の花プロジェクトのリーダー金山文造さん宅に世話になっていたが、少しずつ復興する町とともに「迷惑も掛けるし、一昨年から民宿に泊まっている」。
 金山さんからは「子どもたちが菜の花を見て『うれしい』と言っている」と聞き、啓さんの表情も緩む。
 3年ほど前からは、渥美半島菜の花まつりで一面が“黄色のじゅうたん”に包まれる「菜の花ガーデン」(堀切町)で野菜のバザーを開始。啓さんが畑で作った菜の花やネギ、キャベツ、ハクサイなどを100円で売り、売上を大槌町社会福祉協議会に寄付している。
 もともと地元にあった花のテーマパークの職員だった啓さんは、花の渥美半島を目指す取り組みが始まった1977(昭和52)年から、菜の花作りに携わる。「冬に黄色の花が映え、栽培しやすい」と言い、「1本ではなく、群生美、大面積で見せられる花」と今や渥美半島の代名詞になった菜の花への思い入れは、誰よりも深い。
 歳を重ね、高齢になってきたが「復興するまで続けていく。幸い足腰が丈夫だから。酒も飲める」と笑う啓さん。支援への意欲は衰えない。
(中村晋也)

東日本大震災の被災地復興を菜の花で支援している河合さん=田原市堀切町で
東日本大震災の被災地復興を菜の花で支援している河合さん=田原市堀切町で
復興大臣から贈られた感謝状を手にする河合さん(右から2人目・渥美半島観光ビューロー提供)
復興大臣から贈られた感謝状を手にする河合さん(右から2人目・渥美半島観光ビューロー提供)

カテゴリー:社会・経済

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