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貴乃花引退に東三河からも惜しむ声

1998年、観衆を前に行われた貴乃花㊥の土俵入り(豊川市提供)
1998年、観衆を前に行われた貴乃花㊥の土俵入り(豊川市提供)
仁王門前に残る土俵入り跡=財賀寺で
仁王門前に残る土俵入り跡=財賀寺で

 貴乃花親方の角界からの引退表明に、東三河でも残念な声が広がっている。1998(平成10)年10月10日、当時現役で横綱だった貴乃花は豊川市財賀寺の財賀寺で土俵入りを披露しており、「平成の大横綱」に親しみを覚えた人も多い。
 20年前、貴乃花は兄の若乃花と共に「若貴フィーバー」を巻き起こし、多くの相撲をファンを魅了した。財賀寺では、国の重要文化財で仁王門に安置されている2体の金剛力士立像(仁王像)が奈良国立博物館から帰郷した際、記念式典が行われ、仁王像が横綱の姿のルーツとされた縁で貴乃花が招かれた。
 前日夜から場所取りをする人もいるなど、1000人以上が詰めかける中、貴乃花は2体の仁王像を前に力強く四股(しこ)を踏むと「よいしょ!よいしょ!」の大合唱が沸き起こった。
 現在、仁王門前には土の色が変わった四角形の土俵の形跡がくっきりと残っており、門正面の左側には記念碑もある。
 貴乃花は電車で来訪したが、最寄りの名鉄国府駅に来た際にも市民が殺到。付き人の若手力士が赤ん坊を抱くなどして交流したという。
 豊川市在住の宇野延彦さん(71)は先日、会員を務める地元久保町の歴史研究会で、当時の熱狂ぶりや国府駅での出来事を子どもたちに伝えた。「当時の貴乃花の強さは神がかっていた。けがを抱えながら武蔵丸に勝った時の表情は、まるで仁王像だった」と振り返った。
(由本裕貴)

 貴乃花親方の角界からの引退表明に、東三河でも残念な声が広がっている。1998(平成10)年10月10日、当時現役で横綱だった貴乃花は豊川市財賀寺の財賀寺で土俵入りを披露しており、「平成の大横綱」に親しみを覚えた人も多い。
 20年前、貴乃花は兄の若乃花と共に「若貴フィーバー」を巻き起こし、多くの相撲をファンを魅了した。財賀寺では、国の重要文化財で仁王門に安置されている2体の金剛力士立像(仁王像)が奈良国立博物館から帰郷した際、記念式典が行われ、仁王像が横綱の姿のルーツとされた縁で貴乃花が招かれた。
 前日夜から場所取りをする人もいるなど、1000人以上が詰めかける中、貴乃花は2体の仁王像を前に力強く四股(しこ)を踏むと「よいしょ!よいしょ!」の大合唱が沸き起こった。
 現在、仁王門前には土の色が変わった四角形の土俵の形跡がくっきりと残っており、門正面の左側には記念碑もある。
 貴乃花は電車で来訪したが、最寄りの名鉄国府駅に来た際にも市民が殺到。付き人の若手力士が赤ん坊を抱くなどして交流したという。
 豊川市在住の宇野延彦さん(71)は先日、会員を務める地元久保町の歴史研究会で、当時の熱狂ぶりや国府駅での出来事を子どもたちに伝えた。「当時の貴乃花の強さは神がかっていた。けがを抱えながら武蔵丸に勝った時の表情は、まるで仁王像だった」と振り返った。
(由本裕貴)

1998年、観衆を前に行われた貴乃花㊥の土俵入り(豊川市提供)
1998年、観衆を前に行われた貴乃花㊥の土俵入り(豊川市提供)
仁王門前に残る土俵入り跡=財賀寺で
仁王門前に残る土俵入り跡=財賀寺で

カテゴリー:社会・経済 / スポーツ

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