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平成最後の豊橋まつり 踊りの輪が広がったフィナーレ

平成の最後の豊橋まつりを締めくくる踊りの輪が広がったフィナーレ=豊橋球場で
平成の最後の豊橋まつりを締めくくる踊りの輪が広がったフィナーレ=豊橋球場で
踊り子たちが力いっぱい舞った「ええじゃないか舞乱行列」=広小路通りで
踊り子たちが力いっぱい舞った「ええじゃないか舞乱行列」=広小路通りで
パレカに花を添えるミスみなと3女王=広小路通りで
パレカに花を添えるミスみなと3女王=広小路通りで

 市民まつり「第64回ええじゃないか豊橋まつり」(同まつり振興会主催)は最終日の21日、豊橋市の中心街・広小路通りで「豊橋パレカ」や新企画の「舞乱(まいらん)行列」が行われた。豊橋球場でのフィナーレには同行列の参加者も合流。次代への継承として、豊橋まつりの象徴とも言える踊りを全員で繰り広げ、熱気に包まれる中、平成最後の豊橋まつりを締めくくった。
 この日も秋晴れが広がり、各会場は家族連れ、若者らであふれ、人出は約38万人(主催者発表)。2日間で近年を上回る約67万人となった。
 豊橋まつりのコンセプトになっている「ええじゃないか」は、幕末に豊橋で起こった民衆運動で、全国へ伝播。エネルギッシュな「ええじゃないか」は次代をつくる原動力とし、フィナーレはこの魂を次の時代につなぐ趣向で実施した。
 夕方から豊橋球場で始まったフィナーレは、「ええじゃないか」「ええじゃないか」の掛け声が響き渡った。
 直前まで東海地区出身、在住のメンバーで構成された「BOYS AND MEN」(ボイメン)の音楽ライブが行われ、観客らもそのまま残った。映画監督でまつりプロデューサーの菅原浩志さんもステージに登場し、「最後まで盛り上がりましょう」と呼び掛けた。
 佐原光一市長や神野吾郎豊橋商工会議所会頭、ボイメン、お笑いライブに出演した「U字工事」らを乗せたトラックの“移動ステージ”が球場脇から、舞乱行列参加者の先導で現れると、会場のボルテージは一気に上昇。観客も音楽に合わせ、体を動かした。
 佐原市長が「2日間、踊り尽くしたでしょうか。もう1回踊りましょう」と投げ掛け、集まった人が平成の豊橋まつりの象徴とも言える踊りの輪を広げて、まつりの幕を閉じた。
(取材班)

 市民まつり「第64回ええじゃないか豊橋まつり」(同まつり振興会主催)は最終日の21日、豊橋市の中心街・広小路通りで「豊橋パレカ」や新企画の「舞乱(まいらん)行列」が行われた。豊橋球場でのフィナーレには同行列の参加者も合流。次代への継承として、豊橋まつりの象徴とも言える踊りを全員で繰り広げ、熱気に包まれる中、平成最後の豊橋まつりを締めくくった。
 この日も秋晴れが広がり、各会場は家族連れ、若者らであふれ、人出は約38万人(主催者発表)。2日間で近年を上回る約67万人となった。
 豊橋まつりのコンセプトになっている「ええじゃないか」は、幕末に豊橋で起こった民衆運動で、全国へ伝播。エネルギッシュな「ええじゃないか」は次代をつくる原動力とし、フィナーレはこの魂を次の時代につなぐ趣向で実施した。
 夕方から豊橋球場で始まったフィナーレは、「ええじゃないか」「ええじゃないか」の掛け声が響き渡った。
 直前まで東海地区出身、在住のメンバーで構成された「BOYS AND MEN」(ボイメン)の音楽ライブが行われ、観客らもそのまま残った。映画監督でまつりプロデューサーの菅原浩志さんもステージに登場し、「最後まで盛り上がりましょう」と呼び掛けた。
 佐原光一市長や神野吾郎豊橋商工会議所会頭、ボイメン、お笑いライブに出演した「U字工事」らを乗せたトラックの“移動ステージ”が球場脇から、舞乱行列参加者の先導で現れると、会場のボルテージは一気に上昇。観客も音楽に合わせ、体を動かした。
 佐原市長が「2日間、踊り尽くしたでしょうか。もう1回踊りましょう」と投げ掛け、集まった人が平成の豊橋まつりの象徴とも言える踊りの輪を広げて、まつりの幕を閉じた。
(取材班)

平成の最後の豊橋まつりを締めくくる踊りの輪が広がったフィナーレ=豊橋球場で
平成の最後の豊橋まつりを締めくくる踊りの輪が広がったフィナーレ=豊橋球場で
踊り子たちが力いっぱい舞った「ええじゃないか舞乱行列」=広小路通りで
踊り子たちが力いっぱい舞った「ええじゃないか舞乱行列」=広小路通りで
パレカに花を添えるミスみなと3女王=広小路通りで
パレカに花を添えるミスみなと3女王=広小路通りで

カテゴリー:社会・経済

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