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そこに刻まれた轍 ほのくに幻影物語

カテゴリー:特集

昭和34年、三谷の町並みを眼下に運行する三谷温泉ロープウェイ(「写真集 明治・大正・昭和 思い出の蒲郡」より)
昭和34年、三谷の町並みを眼下に運行する三谷温泉ロープウェイ(「写真集 明治・大正・昭和 思い出の蒲郡」より)
三河湾を望むロープウェイ乗り場の跡地は恋人らの人気スポットとなっている=弘法山で
三河湾を望むロープウェイ乗り場の跡地は恋人らの人気スポットとなっている=弘法山で

⑤三谷温泉ロープウェイ

 蒲郡市の三谷温泉にかつて、大勢の観光客に親しまれた「三谷温泉ロープウェイ」があった。子安弘法大師像が立つ弘法山と、南西側の乃木山を結ぶ形で1958(昭和33)年4月に開通。「ちどり号」は温泉街や三河湾を眼下に往復した。
 三谷温泉の開発が始まった昭和30年代は旅行ブームで、周辺には旅館が40軒近く建てられた。ロープウェイ開通翌年には三河大島に放し飼いにされていた鹿が海を泳いで逃げ出す珍事件が起き、この鹿を弘法山に移してバンビセンターを建設。遊具や観覧車もある弘法山遊園地も生まれた。乃木山では市の援助を受けた旅館組合が、乃木将軍像の隣にプラネタリウム会館を開館した。
 三谷温泉は昭和28年の利用客は62万人、宿泊客は4~5万人程度だったが、昭和37年には利用客191万人、宿泊客26万人へと急成長。一大観光地に発展した。しかしロープウェイは開通年度に843万円の赤字を出したこともあり、その後の民営化を経て、1975(昭和50)年1月に廃止された。
 弘法山のロープウェイ乗り場跡地は現在、三谷温泉観光協会によって「ラバーズヒル」という名で恋人たちの人気スポットになっている。「ちどり号」が停車した斜面の土台や階段、鉄柵を活用し、三河湾を望む展望台や鐘、男女愛の鍵を付ける場がある。人と人の心を結ぶ姿は、今も変わらない。
(由本裕貴)

⑤三谷温泉ロープウェイ

 蒲郡市の三谷温泉にかつて、大勢の観光客に親しまれた「三谷温泉ロープウェイ」があった。子安弘法大師像が立つ弘法山と、南西側の乃木山を結ぶ形で1958(昭和33)年4月に開通。「ちどり号」は温泉街や三河湾を眼下に往復した。
 三谷温泉の開発が始まった昭和30年代は旅行ブームで、周辺には旅館が40軒近く建てられた。ロープウェイ開通翌年には三河大島に放し飼いにされていた鹿が海を泳いで逃げ出す珍事件が起き、この鹿を弘法山に移してバンビセンターを建設。遊具や観覧車もある弘法山遊園地も生まれた。乃木山では市の援助を受けた旅館組合が、乃木将軍像の隣にプラネタリウム会館を開館した。
 三谷温泉は昭和28年の利用客は62万人、宿泊客は4~5万人程度だったが、昭和37年には利用客191万人、宿泊客26万人へと急成長。一大観光地に発展した。しかしロープウェイは開通年度に843万円の赤字を出したこともあり、その後の民営化を経て、1975(昭和50)年1月に廃止された。
 弘法山のロープウェイ乗り場跡地は現在、三谷温泉観光協会によって「ラバーズヒル」という名で恋人たちの人気スポットになっている。「ちどり号」が停車した斜面の土台や階段、鉄柵を活用し、三河湾を望む展望台や鐘、男女愛の鍵を付ける場がある。人と人の心を結ぶ姿は、今も変わらない。
(由本裕貴)

昭和34年、三谷の町並みを眼下に運行する三谷温泉ロープウェイ(「写真集 明治・大正・昭和 思い出の蒲郡」より)
昭和34年、三谷の町並みを眼下に運行する三谷温泉ロープウェイ(「写真集 明治・大正・昭和 思い出の蒲郡」より)
三河湾を望むロープウェイ乗り場の跡地は恋人らの人気スポットとなっている=弘法山で
三河湾を望むロープウェイ乗り場の跡地は恋人らの人気スポットとなっている=弘法山で

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