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そこに刻まれた轍 ほのくに幻影物語

カテゴリー:特集

三ヶ根市構想に入っていた形原、西浦町=三ヶ根山の山頂から撮影
三ヶ根市構想に入っていた形原、西浦町=三ヶ根山の山頂から撮影

⑥三ヶ根市構想

 1962(昭和37)年4月、蒲郡市に編入された形原町。もともと合併に反対する住民の声が根強く、同町出身の県議は蒲郡市とは一線を画し、温泉のある形原・西浦両町を中心としたレジャー都市「三ヶ根市」の構想を持っていた。

 蒲郡市史が引用した「蒲郡新聞 市制十年のメモ」によると、「三ヶ根市」は形原町、西浦町に、幸田町、幡豆町(現西尾市)を加えた一大構想。しかし、標高321㍍の三ヶ根山が各町をまたぐ地形が市政運営に支障をきたす心配もあり、実現には至らなかった。記事では「観光都市か、と悩む現在の蒲郡市よりよほどすっきりと割り切った考え方のようであったが、三ヶ根山を中央にした地形での都市化は当時としては無理があった。もし蒲郡市の都市づくりが遅れていたら、日本のデズニーランド三ヶ根市が生まれていたかもしれない…」と回想している。
 形原町では蒲郡市が誕生した1954(昭和29)年の住民投票で、合併への反対が賛成を上回った。しばらくは合併問題はタブー視されていたが、1958年から町議会で再び浮上し、市議の議席を空けて待った蒲郡市側の熱意も実り、1962年2月11日の住民投票で賛成2869票、反対1863票となり、合併が決まった。
 西浦町は石材収入を中心とした豊かな財源に恵まれていたが、合併への機運が徐々に高まった。「採掘場を西浦町財産区とし、収益は3カ年300万円ずつを西浦町に還元する」「西浦中学校体育館・工作室の建築は市の予算に編入する」などを条件に、形原町から1年遅れて蒲郡市への合併が決まった。
 三ヶ根山の山頂からは、これら長い歴史を誇る各町の街並みを見下ろせる。三河湾を含む美しい眺望が、レジャー都市としての可能性をまだまだ感じさせる。
(由本裕貴)

⑥三ヶ根市構想

 1962(昭和37)年4月、蒲郡市に編入された形原町。もともと合併に反対する住民の声が根強く、同町出身の県議は蒲郡市とは一線を画し、温泉のある形原・西浦両町を中心としたレジャー都市「三ヶ根市」の構想を持っていた。

 蒲郡市史が引用した「蒲郡新聞 市制十年のメモ」によると、「三ヶ根市」は形原町、西浦町に、幸田町、幡豆町(現西尾市)を加えた一大構想。しかし、標高321㍍の三ヶ根山が各町をまたぐ地形が市政運営に支障をきたす心配もあり、実現には至らなかった。記事では「観光都市か、と悩む現在の蒲郡市よりよほどすっきりと割り切った考え方のようであったが、三ヶ根山を中央にした地形での都市化は当時としては無理があった。もし蒲郡市の都市づくりが遅れていたら、日本のデズニーランド三ヶ根市が生まれていたかもしれない…」と回想している。
 形原町では蒲郡市が誕生した1954(昭和29)年の住民投票で、合併への反対が賛成を上回った。しばらくは合併問題はタブー視されていたが、1958年から町議会で再び浮上し、市議の議席を空けて待った蒲郡市側の熱意も実り、1962年2月11日の住民投票で賛成2869票、反対1863票となり、合併が決まった。
 西浦町は石材収入を中心とした豊かな財源に恵まれていたが、合併への機運が徐々に高まった。「採掘場を西浦町財産区とし、収益は3カ年300万円ずつを西浦町に還元する」「西浦中学校体育館・工作室の建築は市の予算に編入する」などを条件に、形原町から1年遅れて蒲郡市への合併が決まった。
 三ヶ根山の山頂からは、これら長い歴史を誇る各町の街並みを見下ろせる。三河湾を含む美しい眺望が、レジャー都市としての可能性をまだまだ感じさせる。
(由本裕貴)

三ヶ根市構想に入っていた形原、西浦町=三ヶ根山の山頂から撮影
三ヶ根市構想に入っていた形原、西浦町=三ヶ根山の山頂から撮影

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