赤坂宿ヒストリー 甦る大橋屋③
主屋裏にソテツなど再現
大橋屋の建物の南西側、主屋裏に位置する場所にも、もともと建物があった。ここはレンガの並べ方を変えることで廊下や部屋の跡地を平面表示。灯ろうやソテツも置かれ、中庭も再現されている。
この灯ろうやソテツは、大橋屋の中庭がモデルとも言われる歌川広重の浮世絵「東海道五十三次・赤坂宿舎招婦図」に描かれている。ソテツは地元の浄泉寺に移植され、現在も残っている。
赤坂宿は江戸から数えて36番目の宿場で、一つ前の御油宿とは「御油の松並木」を挟んでわずか約1・7㌔しか離れておらず、東海道では最も短い距離だった。この短さから、慶長6年に各宿場に下された伝馬朱印状は赤坂と御油の両宿に宛てられ、2つで1宿の扱いとなっていた。
広重のほか、松尾芭蕉も訪れており、「夏の月 御油より出でて 赤坂や」という俳句を詠んでいる。関川神社にはこの句碑がある。
(由本裕貴)
主屋裏にソテツなど再現
大橋屋の建物の南西側、主屋裏に位置する場所にも、もともと建物があった。ここはレンガの並べ方を変えることで廊下や部屋の跡地を平面表示。灯ろうやソテツも置かれ、中庭も再現されている。
この灯ろうやソテツは、大橋屋の中庭がモデルとも言われる歌川広重の浮世絵「東海道五十三次・赤坂宿舎招婦図」に描かれている。ソテツは地元の浄泉寺に移植され、現在も残っている。
赤坂宿は江戸から数えて36番目の宿場で、一つ前の御油宿とは「御油の松並木」を挟んでわずか約1・7㌔しか離れておらず、東海道では最も短い距離だった。この短さから、慶長6年に各宿場に下された伝馬朱印状は赤坂と御油の両宿に宛てられ、2つで1宿の扱いとなっていた。
広重のほか、松尾芭蕉も訪れており、「夏の月 御油より出でて 赤坂や」という俳句を詠んでいる。関川神社にはこの句碑がある。
(由本裕貴)