東三地方史研究会が吉田藩役人の日記を出版
江戸時代後期、吉田藩の役人を務めた柴田善伸(1784~1849)の日記をまとめた「柴田善伸翁日記抜書」(A5判、335㌻)を、東三地方史研究会(秦基会長)が出版した。当時の武士や庶民の暮らしが垣間見え、貴重な資料でもある。
柴田は石高60の下級武士だったが、国学者らとのつきあいがあった、文化人であり、知識人であった。日々、日常の出来事などを日記にまとめており、現在も記録が残っている天保2(1831)年から同11年までの日記を掲載した。
天保8年3月12日には、天保の飢饉(ききん)で苦しむ人々のために吉田藩が粥を配ったところ2583人が並んだことが記されており、吉田城下でも飢饉の影響が大きかったことがうかがえる。
このほか、病気療養中にみそ汁の中に牛肉を入れて食べおいしかったなど日々の暮らしのことから、大塩平八郎の乱や渡辺崋山の閉居など国内の出来事も記されており、幅広い内容になっている。
同会では「注を入れて分かりやすくしました。当時の生活の様子が分かり、読んでいて面白い」と話す。
2000円(税別)で販売、豊川堂や精文館で扱っている。問い合わせは同会の尾嵜信之さん(0532・62・1938)へ。
(竹下貴信)
江戸時代後期、吉田藩の役人を務めた柴田善伸(1784~1849)の日記をまとめた「柴田善伸翁日記抜書」(A5判、335㌻)を、東三地方史研究会(秦基会長)が出版した。当時の武士や庶民の暮らしが垣間見え、貴重な資料でもある。
柴田は石高60の下級武士だったが、国学者らとのつきあいがあった、文化人であり、知識人であった。日々、日常の出来事などを日記にまとめており、現在も記録が残っている天保2(1831)年から同11年までの日記を掲載した。
天保8年3月12日には、天保の飢饉(ききん)で苦しむ人々のために吉田藩が粥を配ったところ2583人が並んだことが記されており、吉田城下でも飢饉の影響が大きかったことがうかがえる。
このほか、病気療養中にみそ汁の中に牛肉を入れて食べおいしかったなど日々の暮らしのことから、大塩平八郎の乱や渡辺崋山の閉居など国内の出来事も記されており、幅広い内容になっている。
同会では「注を入れて分かりやすくしました。当時の生活の様子が分かり、読んでいて面白い」と話す。
2000円(税別)で販売、豊川堂や精文館で扱っている。問い合わせは同会の尾嵜信之さん(0532・62・1938)へ。
(竹下貴信)