豊橋市二川宿本陣資料館で「明治天皇と二川宿」
豊橋市二川宿本陣資料館で、皇室の代替わりに合わせた特集展示「明治天皇と二川宿」が開催されている。明治天皇が居所を京都から東京へ移る「遷卸」の際、同宿本陣で休憩したことを残っている史料で紹介している。6日まで。
江戸幕府が倒れ、1868(明治元年)から翌年にかけて行われた明治天皇の3度の行幸は、すべて東海道を通行し、二川宿本陣は明治天皇の「御小休所」に指定されていた。
会場には、休憩中であることを往来する人たちに知らせるため掲げられた札「御小休」など関連史料10点を展示。札は、本陣を経営していた馬場家に2枚が現存する。二川宿の事前準備の様子が分かる帳面なども並べられ、本陣の修繕だけでなく、宿場町内の橋などの営繕も必要だったことが記されている。
また、1868年10月、最初の通行に際し、二川宿では143人が宿泊し、昼休みを取ったことが分かる史料もあり、訪れた人たちが興味深く見ている。
(中村晋也)
豊橋市二川宿本陣資料館で、皇室の代替わりに合わせた特集展示「明治天皇と二川宿」が開催されている。明治天皇が居所を京都から東京へ移る「遷卸」の際、同宿本陣で休憩したことを残っている史料で紹介している。6日まで。
江戸幕府が倒れ、1868(明治元年)から翌年にかけて行われた明治天皇の3度の行幸は、すべて東海道を通行し、二川宿本陣は明治天皇の「御小休所」に指定されていた。
会場には、休憩中であることを往来する人たちに知らせるため掲げられた札「御小休」など関連史料10点を展示。札は、本陣を経営していた馬場家に2枚が現存する。二川宿の事前準備の様子が分かる帳面なども並べられ、本陣の修繕だけでなく、宿場町内の橋などの営繕も必要だったことが記されている。
また、1868年10月、最初の通行に際し、二川宿では143人が宿泊し、昼休みを取ったことが分かる史料もあり、訪れた人たちが興味深く見ている。
(中村晋也)