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豊橋技科大で武蔵精密の大塚社長講演

講演する大塚氏=豊橋技術科学大学で
講演する大塚氏=豊橋技術科学大学で

 豊橋技術科学大学の特別講演として、武蔵精密工業(豊橋市)の代表取締役社長で最高経営責任者の大塚浩史氏が、豊橋市天伯町の同大学で「日本のものづくり力が実現するイノベーション」と題し講演した。
 まず「技科大設立の時には、父が誘致に協力させてもらった。当社には技科大から年間2人が就職しているが、もっと来てほしい」と技科大との関わりについて紹介。同社の3代目であり、元は大塚製作所だったという。終戦までは東京の武蔵野に会社があり、航空機の部品生産で成功したが、「敗戦で苦労し、武蔵野時代の苦労を忘れないようにと豊橋に戻り、武蔵精密工業と社名を改めた」と話した。
 帰豊してからはミシン産業に参入し、JISを取得。だが、1958(昭和33)年に故本田宗一郎氏との出会いで2輪部品へ全面的に移行し、後に4輪部品へ拡大。「何十もある取引先をホンダ1社とし、ホンダのサクセスストーリーの裏側にいた」と語った。
 また、現在の世界の主要な自動車メーカーとの取り引きや主力商品について紹介し、イノベーションについて「技術革新と日本では訳されていて誤解を生みやすい」と指摘。「新しい価値を生む活動のことで、黒電話と無線機からケイタイ、馬車とエンジンから自動車、インスタントラーメンとどんぶりからカップ麺のように、天才がゼロから新しいモノを生むのとは異なる」と説明した。
 さらに「秩序や常識が一変するDisruption(断絶)の時代の取り組みが、われわれに求められる」とし、テクノロジーの進化のスピードがアップしていることから会社の寿命が短くなっていることに触れ「イノベーションor die(イノベーションなければ死が訪れる)」と会社の生き残りにはイノベーションが不可欠だとの見解を示した。AIの重要性についても話し「テクノロジーの力を生かしたイノベーションで社会課題の解決に貢献したい」と述べ、会場は大きな拍手に包まれた。
(小島幸子)

 豊橋技術科学大学の特別講演として、武蔵精密工業(豊橋市)の代表取締役社長で最高経営責任者の大塚浩史氏が、豊橋市天伯町の同大学で「日本のものづくり力が実現するイノベーション」と題し講演した。
 まず「技科大設立の時には、父が誘致に協力させてもらった。当社には技科大から年間2人が就職しているが、もっと来てほしい」と技科大との関わりについて紹介。同社の3代目であり、元は大塚製作所だったという。終戦までは東京の武蔵野に会社があり、航空機の部品生産で成功したが、「敗戦で苦労し、武蔵野時代の苦労を忘れないようにと豊橋に戻り、武蔵精密工業と社名を改めた」と話した。
 帰豊してからはミシン産業に参入し、JISを取得。だが、1958(昭和33)年に故本田宗一郎氏との出会いで2輪部品へ全面的に移行し、後に4輪部品へ拡大。「何十もある取引先をホンダ1社とし、ホンダのサクセスストーリーの裏側にいた」と語った。
 また、現在の世界の主要な自動車メーカーとの取り引きや主力商品について紹介し、イノベーションについて「技術革新と日本では訳されていて誤解を生みやすい」と指摘。「新しい価値を生む活動のことで、黒電話と無線機からケイタイ、馬車とエンジンから自動車、インスタントラーメンとどんぶりからカップ麺のように、天才がゼロから新しいモノを生むのとは異なる」と説明した。
 さらに「秩序や常識が一変するDisruption(断絶)の時代の取り組みが、われわれに求められる」とし、テクノロジーの進化のスピードがアップしていることから会社の寿命が短くなっていることに触れ「イノベーションor die(イノベーションなければ死が訪れる)」と会社の生き残りにはイノベーションが不可欠だとの見解を示した。AIの重要性についても話し「テクノロジーの力を生かしたイノベーションで社会課題の解決に貢献したい」と述べ、会場は大きな拍手に包まれた。
(小島幸子)

講演する大塚氏=豊橋技術科学大学で
講演する大塚氏=豊橋技術科学大学で

カテゴリー:社会・経済

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