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そこに刻まれた轍ほのくに幻影物語

カテゴリー:特集

豊橋港の梅田川河口。豊浜運河が実現していたら大型船舶が行き来していた=豊橋市船渡町で
豊橋港の梅田川河口。豊浜運河が実現していたら大型船舶が行き来していた=豊橋市船渡町で

⑩豊浜運河構想

 三河港振興会が設立50周年を迎えたが、東三河にはかつて、豊橋港から河川を通って浜名湖、さらに浜松市中心部までを結ぶ航路「豊浜運河計画」が存在した。
「幻の都市計画~残しておきたい構想案~」(日本都市計画学会中部支部)によると、1964(昭和39)年に当時の豊橋商工会議所の山口唯次会頭が「豊橋から浜名湖を運河で結び、1000㌧の船が行き来し、その船が鳥羽はもちろん日本の沿岸部を一周する」と回想している。
 この計画は三河湾の豊橋港を起点に梅田川をさかのぼり、静岡県湖西町入出から浜名湖に入るまでの約19㌔と、浜名湖の雄踏付近から新川に沿って浜松市中区の伊場に至るまでの約5㌔の2区間からなる。
 もともとは明治初頭に立ち上がった運河構想だったが、戦時中の1940年代に伊勢湾内の港湾との連携や豊橋・浜松間の工業開発を促進させる意味もあり、豊橋港の整備と運河を結び付けた計画として本格的に提案された。概算工事費として豊橋港~浜名湖が約34億円、浜名湖~浜松市が約9億円と算出された。
 戦後まもなくして再びこの計画が注目された時期もあったが、陸上交通の発達から「運河は時代遅れ」という声もあり、実現することなく幻に終わった。
(由本裕貴)

⑩豊浜運河構想

 三河港振興会が設立50周年を迎えたが、東三河にはかつて、豊橋港から河川を通って浜名湖、さらに浜松市中心部までを結ぶ航路「豊浜運河計画」が存在した。
「幻の都市計画~残しておきたい構想案~」(日本都市計画学会中部支部)によると、1964(昭和39)年に当時の豊橋商工会議所の山口唯次会頭が「豊橋から浜名湖を運河で結び、1000㌧の船が行き来し、その船が鳥羽はもちろん日本の沿岸部を一周する」と回想している。
 この計画は三河湾の豊橋港を起点に梅田川をさかのぼり、静岡県湖西町入出から浜名湖に入るまでの約19㌔と、浜名湖の雄踏付近から新川に沿って浜松市中区の伊場に至るまでの約5㌔の2区間からなる。
 もともとは明治初頭に立ち上がった運河構想だったが、戦時中の1940年代に伊勢湾内の港湾との連携や豊橋・浜松間の工業開発を促進させる意味もあり、豊橋港の整備と運河を結び付けた計画として本格的に提案された。概算工事費として豊橋港~浜名湖が約34億円、浜名湖~浜松市が約9億円と算出された。
 戦後まもなくして再びこの計画が注目された時期もあったが、陸上交通の発達から「運河は時代遅れ」という声もあり、実現することなく幻に終わった。
(由本裕貴)

豊橋港の梅田川河口。豊浜運河が実現していたら大型船舶が行き来していた=豊橋市船渡町で
豊橋港の梅田川河口。豊浜運河が実現していたら大型船舶が行き来していた=豊橋市船渡町で

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