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豊川の大聖寺で今川義元公供養祭

今川義元の供養祭で合掌する参列者ら=大聖寺で
今川義元の供養祭で合掌する参列者ら=大聖寺で

 かつて遠江から駿河(現在の静岡県西部から中部)や三河地方を統治していた戦国武将、今川義元をまつる豊川市牛久保町の大聖寺(植村純哉住職)で10日、「第58回今川義元公供養祭」が営まれた。
 新型コロナウイルス対策で規模を縮小し、町内会役員や奉賛会員、寺の世話人ら20人だけで実施。本堂での読経の後、焼香した。
 昨年が生誕500年だった今川義元は1560(永禄3)年5月19日、「桶狭間の戦い」で織田信長に討たれ、家臣によって胴体だけがこの地に運ばれた。境内にある「今川義元公墓所」は市指定史跡となっており、毎年命日に近いこの時期に供養祭が営まれる。
 駿府では静岡市の礎となるまちづくりに大きく貢献したとされ、植村住職は「この未曽有の病災害の中で、これからが人の力の見せどころ。義元公を見習って地元町民に頑張ってほしい」と述べた。牛久保連区会長で大字総代の池田力さんも「公家文化などにも功績のあった義元公に改めて感謝し、この供養祭が今後80年、100年と続くことを期待したい」と話した。
(由本裕貴)

 かつて遠江から駿河(現在の静岡県西部から中部)や三河地方を統治していた戦国武将、今川義元をまつる豊川市牛久保町の大聖寺(植村純哉住職)で10日、「第58回今川義元公供養祭」が営まれた。
 新型コロナウイルス対策で規模を縮小し、町内会役員や奉賛会員、寺の世話人ら20人だけで実施。本堂での読経の後、焼香した。
 昨年が生誕500年だった今川義元は1560(永禄3)年5月19日、「桶狭間の戦い」で織田信長に討たれ、家臣によって胴体だけがこの地に運ばれた。境内にある「今川義元公墓所」は市指定史跡となっており、毎年命日に近いこの時期に供養祭が営まれる。
 駿府では静岡市の礎となるまちづくりに大きく貢献したとされ、植村住職は「この未曽有の病災害の中で、これからが人の力の見せどころ。義元公を見習って地元町民に頑張ってほしい」と述べた。牛久保連区会長で大字総代の池田力さんも「公家文化などにも功績のあった義元公に改めて感謝し、この供養祭が今後80年、100年と続くことを期待したい」と話した。
(由本裕貴)

今川義元の供養祭で合掌する参列者ら=大聖寺で
今川義元の供養祭で合掌する参列者ら=大聖寺で

カテゴリー:社会・経済

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