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金子の父は新城出身

古関裕而と金子(内山登志雄さん提供。古関裕而の長男正裕氏所蔵の写真と同一と思われる)
古関裕而と金子(内山登志雄さん提供。古関裕而の長男正裕氏所蔵の写真と同一と思われる)
安蔵直筆の封書の表裏。裏面に「内山安蔵商店」の印がある(豊橋市中央図書館提供)
安蔵直筆の封書の表裏。裏面に「内山安蔵商店」の印がある(豊橋市中央図書館提供)
金子の父は新城出身

NHKの連続テレビ小説「エール」のヒロインのモデルで豊橋出身の古関(旧姓内山)金子の生涯はこれまでほとんど知られてこなかった。だが、豊橋市中央図書館の岩瀬彰利主幹学芸員が調査を進めた結果、金子の父安蔵の出身地が新城市であることが新たに判明した。30日、図書館が発表した。7月8日から、内山家関係資料を展示する。

 岩瀬学芸員は東愛知新聞に5月1日から「明治から昭和を音楽と共に『内山金子とその時代展』より」を計10回連載し、その当時の最新情報を発表していた。しかし安蔵については、陸軍の獣医部に勤めていたというところから始まり、連載の番外編でも本紙の取材に「安蔵が元々豊橋の人だったのか、どこかから豊橋に移り住んだのか、実はそれも分かっていないのです」と述べていた(6月13日付本紙)。
 進展のきっかけは、内山家現当主の内山登志雄さん(76)と妻とし江さん(71)が6月中旬、開催中だった豊橋市中央図書館の企画展「内山金子とその時代展」を訪れたことだった。2人は新城市下吉田(旧八名郡下吉田村)に住んでおり、家系図を持参していた。そこには金子の名前もあった。
 岩瀬学芸員が内山家を訪ねて調査した結果、安蔵は1872(明治5)年5月1日生まれの内山家の長男だったことが分かった。陸軍の職業軍人となって豊橋に行き、妻みつと98(明治31)年に結婚したという。
 一方、金子はこれまで、1男6女の三女とされてきたが、実は早世した姉妹がさらに4人おり、1男10女の六女だったことも分かった。長女、次女、三女、八女が亡くなっている。安蔵は職業軍人として妻みつを伴い、国内各地を転勤していた。日清・日露戦争へ出征中だった時期以外は、次々と子を授かっていたようだ。亡くなった姉妹については家庭内で語り継がれることはなかったらしい。
 さらに、実家を継いだ三男の花次(登志雄さんの祖父)に安蔵が宛てた手紙に、豊橋で経営していた店が「内山安蔵商店」という屋号だったこと、取扱商品は「蹄鉄(ていてつ)」「馬具」「蹄油」だったことが記されていた。陸軍獣医部を退役し、御用店として豊橋で手広く事業をしていたとみられる。
 安蔵の死亡日時も不明だったが、1924(大正13)年10月3日だったことが特定された。これにより、その死は金子が福岡尋常高等小学校を卒業し、豊橋市立高等女学校(現豊橋東高校)の生徒時代だったことが分かった。母みつが安蔵の死後も店を縮小しながら家業を続けた様子は「エール」でも描かれている。
 朝ドラ「エール」は新型コロナウイルスの影響で収録ができなくなったため、6月29日放送分から、再放送になっている。主人公2人の幼少時のストーリーが再び展開されるため、当地の模様も画面に登場する。
 今後も、謎めいていた女性だった金子の実像について、新資料が出てくるかもしれない。
【山田一晶】

豊橋市中央図書館の岩瀬彰利主幹学芸員の話
 父の安蔵が現在の新城市出身、母のみつが現在の春日井市出身で、結婚後に金沢、福岡と居住地を変えている。金子さんの”破天荒”な性格が形成された背景が、垣間見られた点は興味深いと言える。

NHKの連続テレビ小説「エール」のヒロインのモデルで豊橋出身の古関(旧姓内山)金子の生涯はこれまでほとんど知られてこなかった。だが、豊橋市中央図書館の岩瀬彰利主幹学芸員が調査を進めた結果、金子の父安蔵の出身地が新城市であることが新たに判明した。30日、図書館が発表した。7月8日から、内山家関係資料を展示する。

 岩瀬学芸員は東愛知新聞に5月1日から「明治から昭和を音楽と共に『内山金子とその時代展』より」を計10回連載し、その当時の最新情報を発表していた。しかし安蔵については、陸軍の獣医部に勤めていたというところから始まり、連載の番外編でも本紙の取材に「安蔵が元々豊橋の人だったのか、どこかから豊橋に移り住んだのか、実はそれも分かっていないのです」と述べていた(6月13日付本紙)。
 進展のきっかけは、内山家現当主の内山登志雄さん(76)と妻とし江さん(71)が6月中旬、開催中だった豊橋市中央図書館の企画展「内山金子とその時代展」を訪れたことだった。2人は新城市下吉田(旧八名郡下吉田村)に住んでおり、家系図を持参していた。そこには金子の名前もあった。
 岩瀬学芸員が内山家を訪ねて調査した結果、安蔵は1872(明治5)年5月1日生まれの内山家の長男だったことが分かった。陸軍の職業軍人となって豊橋に行き、妻みつと98(明治31)年に結婚したという。
 一方、金子はこれまで、1男6女の三女とされてきたが、実は早世した姉妹がさらに4人おり、1男10女の六女だったことも分かった。長女、次女、三女、八女が亡くなっている。安蔵は職業軍人として妻みつを伴い、国内各地を転勤していた。日清・日露戦争へ出征中だった時期以外は、次々と子を授かっていたようだ。亡くなった姉妹については家庭内で語り継がれることはなかったらしい。
 さらに、実家を継いだ三男の花次(登志雄さんの祖父)に安蔵が宛てた手紙に、豊橋で経営していた店が「内山安蔵商店」という屋号だったこと、取扱商品は「蹄鉄(ていてつ)」「馬具」「蹄油」だったことが記されていた。陸軍獣医部を退役し、御用店として豊橋で手広く事業をしていたとみられる。
 安蔵の死亡日時も不明だったが、1924(大正13)年10月3日だったことが特定された。これにより、その死は金子が福岡尋常高等小学校を卒業し、豊橋市立高等女学校(現豊橋東高校)の生徒時代だったことが分かった。母みつが安蔵の死後も店を縮小しながら家業を続けた様子は「エール」でも描かれている。
 朝ドラ「エール」は新型コロナウイルスの影響で収録ができなくなったため、6月29日放送分から、再放送になっている。主人公2人の幼少時のストーリーが再び展開されるため、当地の模様も画面に登場する。
 今後も、謎めいていた女性だった金子の実像について、新資料が出てくるかもしれない。
【山田一晶】

豊橋市中央図書館の岩瀬彰利主幹学芸員の話
 父の安蔵が現在の新城市出身、母のみつが現在の春日井市出身で、結婚後に金沢、福岡と居住地を変えている。金子さんの”破天荒”な性格が形成された背景が、垣間見られた点は興味深いと言える。

古関裕而と金子(内山登志雄さん提供。古関裕而の長男正裕氏所蔵の写真と同一と思われる)
古関裕而と金子(内山登志雄さん提供。古関裕而の長男正裕氏所蔵の写真と同一と思われる)
安蔵直筆の封書の表裏。裏面に「内山安蔵商店」の印がある(豊橋市中央図書館提供)
安蔵直筆の封書の表裏。裏面に「内山安蔵商店」の印がある(豊橋市中央図書館提供)
金子の父は新城出身

カテゴリー:社会・経済

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