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田原の髙橋さん 古里・石巻市に思いはせ

石巻市を日和山の北側から見た街並み。2011年3月11日撮影㊤と2016年12月17日撮影(宮城県石巻市提供)
石巻市を日和山の北側から見た街並み。2011年3月11日撮影㊤と2016年12月17日撮影(宮城県石巻市提供)

 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県北東部に位置する石巻市。市内を流れる鮎川では最大高さ8・6㍍の津波を観測した。震災により、3278人の市民が犠牲となり、約270人の関連死が認定された(いずれも1月末時点)。
 田原市に住む髙橋修さん(70)は沿岸部から約2㌔前後にある同市蛇田地区の出身。震災の津波で親戚を亡くした。姉夫婦が住んでいた実家は津波による直接的な被害を受けなかったものの、辺りは数センチ程度冠水し、家は修繕が必要になった。
 最後に石巻に帰ったのは昨夏。「ガランとした様子だった。今は、かさ上げされた高台に新築住宅が立ち始めている」という。
 石巻には高校卒業まで住んでいた髙橋さん。1960年には、チリ地震の津波が同市を含む三陸海岸を襲い、目の前でがれきなどが流されていくのを見ている。しかし、向こうにいた頃は、防災意識や教育への関心は、現在のように肌で感じるほど高くはなかったように思えると振り返り、故郷の友人たちは「誰もあんな地震が起こるなんて思わない」と言う。
 同市では市立大川小学校の児童と先生が津波で犠牲となり、保護者らが避難誘導を巡って市と県を相手に損害賠償を求める訴訟を起こし、教育現場の防災体制に課題を突きつけた。
 震災からまもなく6年が経ち、物資の供給は追いついているという石巻。今考えられる必要な支援については「東北へ旅行に行って観光したり、現地でお金を消費すること」などと髙橋さんは語る。
(千葉敬也)

 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県北東部に位置する石巻市。市内を流れる鮎川では最大高さ8・6㍍の津波を観測した。震災により、3278人の市民が犠牲となり、約270人の関連死が認定された(いずれも1月末時点)。
 田原市に住む髙橋修さん(70)は沿岸部から約2㌔前後にある同市蛇田地区の出身。震災の津波で親戚を亡くした。姉夫婦が住んでいた実家は津波による直接的な被害を受けなかったものの、辺りは数センチ程度冠水し、家は修繕が必要になった。
 最後に石巻に帰ったのは昨夏。「ガランとした様子だった。今は、かさ上げされた高台に新築住宅が立ち始めている」という。
 石巻には高校卒業まで住んでいた髙橋さん。1960年には、チリ地震の津波が同市を含む三陸海岸を襲い、目の前でがれきなどが流されていくのを見ている。しかし、向こうにいた頃は、防災意識や教育への関心は、現在のように肌で感じるほど高くはなかったように思えると振り返り、故郷の友人たちは「誰もあんな地震が起こるなんて思わない」と言う。
 同市では市立大川小学校の児童と先生が津波で犠牲となり、保護者らが避難誘導を巡って市と県を相手に損害賠償を求める訴訟を起こし、教育現場の防災体制に課題を突きつけた。
 震災からまもなく6年が経ち、物資の供給は追いついているという石巻。今考えられる必要な支援については「東北へ旅行に行って観光したり、現地でお金を消費すること」などと髙橋さんは語る。
(千葉敬也)

石巻市を日和山の北側から見た街並み。2011年3月11日撮影㊤と2016年12月17日撮影(宮城県石巻市提供)
石巻市を日和山の北側から見た街並み。2011年3月11日撮影㊤と2016年12月17日撮影(宮城県石巻市提供)

カテゴリー:社会・経済

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