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三河初か「周堤」が見つかる

手前の盛り上がっている部分が貴重な「周堤」の遺構。奥のへこんだ部分が建物跡
手前の盛り上がっている部分が貴重な「周堤」の遺構。奥のへこんだ部分が建物跡
設楽町の「上ヲロウ、下ヲロウ遺跡」の発掘現場
設楽町の「上ヲロウ、下ヲロウ遺跡」の発掘現場
弥生式土器の破片に刻まれた文様
弥生式土器の破片に刻まれた文様

設楽の上ヲロウ、下ヲロウ遺跡

 県埋蔵文化財センターは、設楽ダム建設工事に伴う設楽町川向の上ヲロウ、下ヲロウ遺跡で、弥生時代中期後葉(約2100年前)の竪穴住居と弥生式土器などの破片を発掘し、報道陣に公開した。町内では初の弥生時代の遺構。また、1基の住居周辺には「周堤」と呼ばれる水よけの土手状の構造も見つかった。全国的にも貴重な資料という。
 現場は設楽ダムの完成時には水没するエリア。竪穴住居跡は少なくとも6基見つかった。同時に存在したのは2基程度だとみられる。竪穴建物群を取り囲むように、溝が掘られていたことも分かった。
 建物は直径約5㍍の円形か楕円形で、中央に柱を立てて屋根をふいていたらしい。近くには縄文時代の遺構もあることから、古代からこの山間の地で、人々が生活を営んでいたことがうかがえる。「川に近く、清水が湧き、食料となる動物たちが多かったのでは」と文化財センター調査課の堀木真美子さん。
 周堤は、住居の中に水が入り込まないように、周辺の土を住居の周囲に盛った構造。今回は高さ50㌢あった。多くの弥生時代の竪穴住居で採り入れられていたと研究者は考えているが、実際に見つかるのはまれだ。周堤は有名な登呂遺跡(静岡市)や八尾南遺跡(大阪府八尾市)の例があるが、いずれも弥生時代後期でそれより古い。「少なくとも三河では初めてでは」という。
 見つからない理由は、発掘で表土を削っていく時に、同時に周堤が崩されてしまうため。柱の穴などが見つかって初めて、そこが住居だったことが分かる。その際にはすでに周堤は壊されている。ただ今回の遺跡は、土石流で覆われていた。小さな石が積み重なっており、土壌が出てきたところで慎重に発掘を進めた結果、土が盛り上がっている構造が特定できたという。
 住居内には地面にめり込んだつぼやかめが、全体の形状が分かる形で出土している。土石流は、人々が生活している状態で襲ったのかもしれない。
 出土した遺物は、弥生式土器のほか、首飾りとみられる管玉がある。土器には文様があった。専門家によると、長野県の伊那谷で「流行した」文様によく似ているも
のと、尾張か三河産とみられるものが混在していた。人と物の行き来が2000年前に存在していたことが分かる。
 一般公開はない。今後、発掘の成果をまとめる。
【山田一晶】

設楽の上ヲロウ、下ヲロウ遺跡

 県埋蔵文化財センターは、設楽ダム建設工事に伴う設楽町川向の上ヲロウ、下ヲロウ遺跡で、弥生時代中期後葉(約2100年前)の竪穴住居と弥生式土器などの破片を発掘し、報道陣に公開した。町内では初の弥生時代の遺構。また、1基の住居周辺には「周堤」と呼ばれる水よけの土手状の構造も見つかった。全国的にも貴重な資料という。
 現場は設楽ダムの完成時には水没するエリア。竪穴住居跡は少なくとも6基見つかった。同時に存在したのは2基程度だとみられる。竪穴建物群を取り囲むように、溝が掘られていたことも分かった。
 建物は直径約5㍍の円形か楕円形で、中央に柱を立てて屋根をふいていたらしい。近くには縄文時代の遺構もあることから、古代からこの山間の地で、人々が生活を営んでいたことがうかがえる。「川に近く、清水が湧き、食料となる動物たちが多かったのでは」と文化財センター調査課の堀木真美子さん。
 周堤は、住居の中に水が入り込まないように、周辺の土を住居の周囲に盛った構造。今回は高さ50㌢あった。多くの弥生時代の竪穴住居で採り入れられていたと研究者は考えているが、実際に見つかるのはまれだ。周堤は有名な登呂遺跡(静岡市)や八尾南遺跡(大阪府八尾市)の例があるが、いずれも弥生時代後期でそれより古い。「少なくとも三河では初めてでは」という。
 見つからない理由は、発掘で表土を削っていく時に、同時に周堤が崩されてしまうため。柱の穴などが見つかって初めて、そこが住居だったことが分かる。その際にはすでに周堤は壊されている。ただ今回の遺跡は、土石流で覆われていた。小さな石が積み重なっており、土壌が出てきたところで慎重に発掘を進めた結果、土が盛り上がっている構造が特定できたという。
 住居内には地面にめり込んだつぼやかめが、全体の形状が分かる形で出土している。土石流は、人々が生活している状態で襲ったのかもしれない。
 出土した遺物は、弥生式土器のほか、首飾りとみられる管玉がある。土器には文様があった。専門家によると、長野県の伊那谷で「流行した」文様によく似ているも
のと、尾張か三河産とみられるものが混在していた。人と物の行き来が2000年前に存在していたことが分かる。
 一般公開はない。今後、発掘の成果をまとめる。
【山田一晶】

手前の盛り上がっている部分が貴重な「周堤」の遺構。奥のへこんだ部分が建物跡
手前の盛り上がっている部分が貴重な「周堤」の遺構。奥のへこんだ部分が建物跡
設楽町の「上ヲロウ、下ヲロウ遺跡」の発掘現場
設楽町の「上ヲロウ、下ヲロウ遺跡」の発掘現場
弥生式土器の破片に刻まれた文様
弥生式土器の破片に刻まれた文様

カテゴリー:社会・経済 / 地域・教育

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