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江戸幕府老中の書簡みつかる

発見された戸田忠昌の書簡㊧、花押と「戸田山城守」という署名
発見された戸田忠昌の書簡㊧、花押と「戸田山城守」という署名

豊橋の解体中民家から

 豊橋市は27日、徳川綱吉時代の江戸幕府老中、戸田忠昌(1632~99年)の書簡が市内の民家で発見されたと発表した。家屋の解体中に見つかり、市中央図書館の岩瀬彰利主幹学芸員が鑑定した。図書館は31日から関連資料を展示する。
 見つかったのは花田町の民家。家を解体している最中に押し入れの中に木箱が出てきた。中には明治時代の日記や卒業証書などに混じり、古い書状があった。家の男性から9月、図書館に「価値があるなら引き取ってほしい」と依頼があり、調べたところ、忠昌の書簡であることが判明した。
 忠昌は旗本の長男として田原で生まれ、伯父で田原藩主の戸田忠能の養子となる。そして1647年、三代藩主になった。64年に肥後天草藩主、76年に京都所司代などを経て81年に幕府の老中に就任した。
 宛先は松平信輝(1660~1725年)。武蔵川越藩主から下総古河藩主を務めた。子の信祝(1683~1744年)は父の跡を継いだ後、1712年に三河吉田藩に転封されている。つまり、田原出身の忠昌が、後に子が豊橋の吉田藩を継ぐ信輝に、江戸から出した書状が発見された、というわけだ。
 書簡は「公方様(将軍)の機嫌が良かったので、他の老中と相談のうえ、信輝が献上したマクワウリ1箱を披露した」という報告。日付は「7月9日」とあるが、この時代の他の手紙と同様、何年の出来事かは分からない。ただ、信輝が藩主を務めた川越はマクワウリの名産地として知られていたため、1681~94年の書状だと推測できるという。
 他にも信輝の田原藩主時代の花押と、今回の書簡のそれが一致したこと、本文は右筆(秘書係)が書いたと思われるが、他の書簡と酷似していること、江戸時代の厚手の折紙に書かれていることなどから、本物と断定した。
 書簡を保存していた家は吉田藩とゆかりはないといい、入手経路は不明だ。明治期まで市内にあり、なんらかの理由で流出したとみられる。
 岩瀬学芸員は「地元とゆかりのある人物が取り交わした書簡であり、来歴も類推できる。また、そのままでは失われた資料が、図書館への問い合わせによって貴重な文化財として保存されることになったのは意義深い」と説明した。
 図書館での展示は31日から11月23日まで、1階展示ケースで。
【山田一晶】

豊橋の解体中民家から

 豊橋市は27日、徳川綱吉時代の江戸幕府老中、戸田忠昌(1632~99年)の書簡が市内の民家で発見されたと発表した。家屋の解体中に見つかり、市中央図書館の岩瀬彰利主幹学芸員が鑑定した。図書館は31日から関連資料を展示する。
 見つかったのは花田町の民家。家を解体している最中に押し入れの中に木箱が出てきた。中には明治時代の日記や卒業証書などに混じり、古い書状があった。家の男性から9月、図書館に「価値があるなら引き取ってほしい」と依頼があり、調べたところ、忠昌の書簡であることが判明した。
 忠昌は旗本の長男として田原で生まれ、伯父で田原藩主の戸田忠能の養子となる。そして1647年、三代藩主になった。64年に肥後天草藩主、76年に京都所司代などを経て81年に幕府の老中に就任した。
 宛先は松平信輝(1660~1725年)。武蔵川越藩主から下総古河藩主を務めた。子の信祝(1683~1744年)は父の跡を継いだ後、1712年に三河吉田藩に転封されている。つまり、田原出身の忠昌が、後に子が豊橋の吉田藩を継ぐ信輝に、江戸から出した書状が発見された、というわけだ。
 書簡は「公方様(将軍)の機嫌が良かったので、他の老中と相談のうえ、信輝が献上したマクワウリ1箱を披露した」という報告。日付は「7月9日」とあるが、この時代の他の手紙と同様、何年の出来事かは分からない。ただ、信輝が藩主を務めた川越はマクワウリの名産地として知られていたため、1681~94年の書状だと推測できるという。
 他にも信輝の田原藩主時代の花押と、今回の書簡のそれが一致したこと、本文は右筆(秘書係)が書いたと思われるが、他の書簡と酷似していること、江戸時代の厚手の折紙に書かれていることなどから、本物と断定した。
 書簡を保存していた家は吉田藩とゆかりはないといい、入手経路は不明だ。明治期まで市内にあり、なんらかの理由で流出したとみられる。
 岩瀬学芸員は「地元とゆかりのある人物が取り交わした書簡であり、来歴も類推できる。また、そのままでは失われた資料が、図書館への問い合わせによって貴重な文化財として保存されることになったのは意義深い」と説明した。
 図書館での展示は31日から11月23日まで、1階展示ケースで。
【山田一晶】

発見された戸田忠昌の書簡㊧、花押と「戸田山城守」という署名
発見された戸田忠昌の書簡㊧、花押と「戸田山城守」という署名

カテゴリー:社会・経済 / 芸能・文化

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