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国府高校 栄光の100年①

カテゴリー:特集

75年夏の県大会決勝、8回に左越え二塁打を放つ田中さん(国府高校甲子園出場記念誌「球譜」より)
75年夏の県大会決勝、8回に左越え二塁打を放つ田中さん(国府高校甲子園出場記念誌「球譜」より)
優勝して甲子園出場を決め、喜び合う国府ナイン(同)
優勝して甲子園出場を決め、喜び合う国府ナイン(同)
45年前の夏を振り返る田中さん
45年前の夏を振り返る田中さん

 豊川市の県立国府高校(伊與田万知校長)が今年、創立100周年を迎えた。大正時代から多くの人材を輩出してきた東三河屈指の伝統校。歴史や行事、卒業生などにスポットを当て、栄光の100年を振り返る。まずは45年前、夏の甲子園に出場した野球部の軌跡をたどる。当時2年生で主力だった田中邦宏さん(61)の証言を3回に分けて紹介する。

45年前、夏の甲子園に出場㊤ 

 世界ではベトナム戦争が激化し、日本国内では第1次石油危機の影響で大企業の倒産が相次いだ1975(昭和50)年の夏。公立校の国府が旋風を巻き起こした。県大会を制覇し、甲子園初出場を果たした。東三河の高校はこれを最後に、半世紀近くも夏の甲子園から遠ざかっている。
 当時、名古屋の私立勢が本命だった。国府はその中京(現中京大中京)や享栄、名古屋電気工業(現愛工大名電)と同じ「死のブロック」に入った。後に中日に入るエース青山久仁さん、大洋(現DeNA)に進む捕手の市川和正さんら戦力は豊富だったが、田中さんは「正直、甲子園に行くなんて考えられなかった。僕自身、野球をするために高校に入ったわけではないから」と明かす。
 風向きが変わったのは享栄との2回戦だ。青山さんの好投で2-0で完封。続く中京戦は終盤に不安のあった青山さんを2番手で投入する奇策が功を奏して勝利。刈谷工業、名電も下すと、豊川との準決勝では4回、田中さんの右越え三塁打で先制し、投手陣がこの1点を守り抜き決勝進出を決めた。
 7月29日、愛知との決勝。熱田球場の観客席は超満員だ。「野球部は学校では目立たない方だった。それなのに卒業生も学ランを着て応援している光景が異様で、本当に感激した」
 国府の1点リードで迎えた8回、無死一、三塁の好機で6番遊撃手で出場していた田中さんに打席が巡った。相手投手は、現中日の祖父江大輔投手の父、明彦さんで速球に力がある。田中さんは初球に狙いを定め、無我夢中で振り抜いた。「全身に電気が走るような快感を覚えています」。打球はレフトオーバーの二塁打となり、一気に2人が生還して試合を決定付けた。9回、青山さんが1点を返されるも完投勝利を飾り、歓喜の瞬間を迎えた。
 勝負強い打撃で一躍ヒーローとなった田中さん。しかし、野球の神様が微笑み続けてくれることはなかった。
【由本裕貴】
(続きは本紙でお楽しみください)

 豊川市の県立国府高校(伊與田万知校長)が今年、創立100周年を迎えた。大正時代から多くの人材を輩出してきた東三河屈指の伝統校。歴史や行事、卒業生などにスポットを当て、栄光の100年を振り返る。まずは45年前、夏の甲子園に出場した野球部の軌跡をたどる。当時2年生で主力だった田中邦宏さん(61)の証言を3回に分けて紹介する。

45年前、夏の甲子園に出場㊤ 

 世界ではベトナム戦争が激化し、日本国内では第1次石油危機の影響で大企業の倒産が相次いだ1975(昭和50)年の夏。公立校の国府が旋風を巻き起こした。県大会を制覇し、甲子園初出場を果たした。東三河の高校はこれを最後に、半世紀近くも夏の甲子園から遠ざかっている。
 当時、名古屋の私立勢が本命だった。国府はその中京(現中京大中京)や享栄、名古屋電気工業(現愛工大名電)と同じ「死のブロック」に入った。後に中日に入るエース青山久仁さん、大洋(現DeNA)に進む捕手の市川和正さんら戦力は豊富だったが、田中さんは「正直、甲子園に行くなんて考えられなかった。僕自身、野球をするために高校に入ったわけではないから」と明かす。
 風向きが変わったのは享栄との2回戦だ。青山さんの好投で2-0で完封。続く中京戦は終盤に不安のあった青山さんを2番手で投入する奇策が功を奏して勝利。刈谷工業、名電も下すと、豊川との準決勝では4回、田中さんの右越え三塁打で先制し、投手陣がこの1点を守り抜き決勝進出を決めた。
 7月29日、愛知との決勝。熱田球場の観客席は超満員だ。「野球部は学校では目立たない方だった。それなのに卒業生も学ランを着て応援している光景が異様で、本当に感激した」
 国府の1点リードで迎えた8回、無死一、三塁の好機で6番遊撃手で出場していた田中さんに打席が巡った。相手投手は、現中日の祖父江大輔投手の父、明彦さんで速球に力がある。田中さんは初球に狙いを定め、無我夢中で振り抜いた。「全身に電気が走るような快感を覚えています」。打球はレフトオーバーの二塁打となり、一気に2人が生還して試合を決定付けた。9回、青山さんが1点を返されるも完投勝利を飾り、歓喜の瞬間を迎えた。
 勝負強い打撃で一躍ヒーローとなった田中さん。しかし、野球の神様が微笑み続けてくれることはなかった。
【由本裕貴】
(続きは本紙でお楽しみください)

75年夏の県大会決勝、8回に左越え二塁打を放つ田中さん(国府高校甲子園出場記念誌「球譜」より)
75年夏の県大会決勝、8回に左越え二塁打を放つ田中さん(国府高校甲子園出場記念誌「球譜」より)
優勝して甲子園出場を決め、喜び合う国府ナイン(同)
優勝して甲子園出場を決め、喜び合う国府ナイン(同)
45年前の夏を振り返る田中さん
45年前の夏を振り返る田中さん

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