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遠州で活躍・松島十湖の生涯を記す

松島十湖について語るうみのさん=東愛知新聞社で
松島十湖について語るうみのさん=東愛知新聞社で
初回の原稿が掲載された「報徳」新年号
初回の原稿が掲載された「報徳」新年号

 江戸末期から明治、大正と遠州で政治家、俳人として活躍した松島十湖。十湖を曽祖父に持つ豊橋市在住の児童文学作家、うみのしほさんが、その生涯をまとめた「松島十湖…奇人変人の痛快人生」を、1月1日発行の生活と文化の研究誌「報徳」(大日本報徳社発行)新年号から1年間連載することになった。
 十湖は1849年、静岡県豊田郡中善地村(現・浜松市東区)生まれ。引佐麁玉(いなさあらたま)郡の郡長や静岡県、浜名郡の議員など歴任。天竜川の治水事業など私財を投じて公共事業に取り組む傍ら、二宮尊徳を崇拝し「報徳思想」を中心に、修身の教えにも尽力した。芭蕉の流れをくむ俳人として芭蕉句碑の建立にも力を入れ、多くの門弟を抱えていたという。地元では今も親しみを込めて「十湖さん」と呼ばれ、東区では郷土の偉人として副読本の題材にもなっている。
 うみのさんは「おりづるの旅」などの作品で知られる児童文学作家で、十湖の三男の孫にあたる。2000年に家族会が開かれた際、土産代わりにと先祖の十湖について書き綴(つづ)った小冊子を作って配ったところ、一部が図書館など一般の人の目に触れて話題に。今回、児童文学の後輩で「報徳」編集者の一人、小川雅子さんの勧めで連載が決まった。
 「今も多くの句碑やエピソードが残っており、我が先祖が地元に愛され、親しみを持って伝えられていることをありがたく思う」とうみのさん。「生涯を分かりやすい文で書いていきたい。連載終了後には1冊にまとめたい気持ちもある」と話す。「報徳」についての問い合わせは大日本報徳社(0537・22・3016)へ。

 江戸末期から明治、大正と遠州で政治家、俳人として活躍した松島十湖。十湖を曽祖父に持つ豊橋市在住の児童文学作家、うみのしほさんが、その生涯をまとめた「松島十湖…奇人変人の痛快人生」を、1月1日発行の生活と文化の研究誌「報徳」(大日本報徳社発行)新年号から1年間連載することになった。
 十湖は1849年、静岡県豊田郡中善地村(現・浜松市東区)生まれ。引佐麁玉(いなさあらたま)郡の郡長や静岡県、浜名郡の議員など歴任。天竜川の治水事業など私財を投じて公共事業に取り組む傍ら、二宮尊徳を崇拝し「報徳思想」を中心に、修身の教えにも尽力した。芭蕉の流れをくむ俳人として芭蕉句碑の建立にも力を入れ、多くの門弟を抱えていたという。地元では今も親しみを込めて「十湖さん」と呼ばれ、東区では郷土の偉人として副読本の題材にもなっている。
 うみのさんは「おりづるの旅」などの作品で知られる児童文学作家で、十湖の三男の孫にあたる。2000年に家族会が開かれた際、土産代わりにと先祖の十湖について書き綴(つづ)った小冊子を作って配ったところ、一部が図書館など一般の人の目に触れて話題に。今回、児童文学の後輩で「報徳」編集者の一人、小川雅子さんの勧めで連載が決まった。
 「今も多くの句碑やエピソードが残っており、我が先祖が地元に愛され、親しみを持って伝えられていることをありがたく思う」とうみのさん。「生涯を分かりやすい文で書いていきたい。連載終了後には1冊にまとめたい気持ちもある」と話す。「報徳」についての問い合わせは大日本報徳社(0537・22・3016)へ。

松島十湖について語るうみのさん=東愛知新聞社で
松島十湖について語るうみのさん=東愛知新聞社で
初回の原稿が掲載された「報徳」新年号
初回の原稿が掲載された「報徳」新年号

カテゴリー:社会・経済

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