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108年ぶりの修復工事

豊橋ハリストス正教会の資料を手にする伊藤さん=豊橋市の自宅で
豊橋ハリストス正教会の資料を手にする伊藤さん=豊橋市の自宅で
日露戦争のロシア人捕虜と豊橋の信者㊧、聖堂の上棟式。木造であることが分かる(写真は伊藤さん提供)
日露戦争のロシア人捕虜と豊橋の信者㊧、聖堂の上棟式。木造であることが分かる(写真は伊藤さん提供)
建設工事を監督した河村伊蔵㊧、完成した「豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂」の外周を行進する「十字行」。
建設工事を監督した河村伊蔵㊧、完成した「豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂」の外周を行進する「十字行」。

豊橋ハリストス正教会の伊藤執事に聞く

 国の重要文化財「豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂」(豊橋市八町通3)は修復工事が3年半の間続くため、一般の人は見学できない状態になっている(後日見学会を予定)。108年ぶりの大規模な工事だ。日本ハリストス正教会の信者で「執事」を務める伊藤英一さん(86)=前田町1=に話を聞いた。
 豊橋市内の正教の歴史は古い。1875(明治8)年には布教者が訪れている。そして79年には最初の会堂が新築され、現在の教会は日露戦争後の1913(大正2)年に完成した。
 伊藤さんは曽祖父から数えて4代目の信者だ。正教会は幼児洗礼があるため、生まれてすぐに信者となる。伊藤さんは物心がついた頃には自宅から約500㍍離れた教会へ祖母に連れられて通っていた。小さな頃は、教会通いが嫌だったという。ただ、家は貧しく「配られる堅パン目当てでした」と話す。やがて日曜学校に出て、聖書についての紙芝居を楽しむようになった。
 太平洋戦争の開戦を小学生で迎えた。信仰で迫害を受けることはなく、信者が地区の役員を務める例もあったが、同級生には「アーメン、ソーメン」とからかわれた。学校でも「宮城(皇居)遥拝、最敬礼!」「皇大神宮(伊勢神宮内宮)、拝礼!」が命じられ、次第に教会から足が遠のいていく。やがて豊橋空襲で自宅は全焼し、疎開を余儀なくされた。
 再び教会に通い始めたのは終戦後2年が過ぎてから。復活祭やクリスマスの行事に、気兼ねなく出られるようになった。
 大学を出て、技術者兼営業マンとして全国を飛び回った。単身赴任は18年に及ぶ。東京や大阪、米国でも教会に通い続けた。「仕事や心に迷いが生じた時にはマリヤ様(イコン)にすがるのが正教徒です。私も何度も助けを求めた」と伊藤さんは言う。62歳で引退し、豊橋に戻っていた伊藤さんは、再び豊橋ハリストス正教会に通うようになった。
 昨年のNHKの朝ドラ「エール」の効果もあって、全国各地の観光客が豊橋正教会聖堂を訪ねてきた。そのたび、伊藤さんが主たる案内役を務める。歴史から聖堂の構造まで、技術者らしい緻密な解説と、優しい語り口に定評があるという。今回の修復工事でも、専門委員会の一員として意見を述べる。
 工事が完了する時には90歳だ。伊藤さんにとって、聖堂はどのような場所なのだろうか。「ただ『ほっとする』場所です。世の騒ぎから切り離された静寂がある。乳香の匂い、イコン、イコノスタシス(聖障)、大きなドーム、祈りの声。五感に働きかけてくる場所です」と話した。
 完工は2024年。聖堂が装いを一新した姿を早く見たいと思う。
【山田一晶】

豊橋ハリストス正教会の伊藤執事に聞く

 国の重要文化財「豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂」(豊橋市八町通3)は修復工事が3年半の間続くため、一般の人は見学できない状態になっている(後日見学会を予定)。108年ぶりの大規模な工事だ。日本ハリストス正教会の信者で「執事」を務める伊藤英一さん(86)=前田町1=に話を聞いた。
 豊橋市内の正教の歴史は古い。1875(明治8)年には布教者が訪れている。そして79年には最初の会堂が新築され、現在の教会は日露戦争後の1913(大正2)年に完成した。
 伊藤さんは曽祖父から数えて4代目の信者だ。正教会は幼児洗礼があるため、生まれてすぐに信者となる。伊藤さんは物心がついた頃には自宅から約500㍍離れた教会へ祖母に連れられて通っていた。小さな頃は、教会通いが嫌だったという。ただ、家は貧しく「配られる堅パン目当てでした」と話す。やがて日曜学校に出て、聖書についての紙芝居を楽しむようになった。
 太平洋戦争の開戦を小学生で迎えた。信仰で迫害を受けることはなく、信者が地区の役員を務める例もあったが、同級生には「アーメン、ソーメン」とからかわれた。学校でも「宮城(皇居)遥拝、最敬礼!」「皇大神宮(伊勢神宮内宮)、拝礼!」が命じられ、次第に教会から足が遠のいていく。やがて豊橋空襲で自宅は全焼し、疎開を余儀なくされた。
 再び教会に通い始めたのは終戦後2年が過ぎてから。復活祭やクリスマスの行事に、気兼ねなく出られるようになった。
 大学を出て、技術者兼営業マンとして全国を飛び回った。単身赴任は18年に及ぶ。東京や大阪、米国でも教会に通い続けた。「仕事や心に迷いが生じた時にはマリヤ様(イコン)にすがるのが正教徒です。私も何度も助けを求めた」と伊藤さんは言う。62歳で引退し、豊橋に戻っていた伊藤さんは、再び豊橋ハリストス正教会に通うようになった。
 昨年のNHKの朝ドラ「エール」の効果もあって、全国各地の観光客が豊橋正教会聖堂を訪ねてきた。そのたび、伊藤さんが主たる案内役を務める。歴史から聖堂の構造まで、技術者らしい緻密な解説と、優しい語り口に定評があるという。今回の修復工事でも、専門委員会の一員として意見を述べる。
 工事が完了する時には90歳だ。伊藤さんにとって、聖堂はどのような場所なのだろうか。「ただ『ほっとする』場所です。世の騒ぎから切り離された静寂がある。乳香の匂い、イコン、イコノスタシス(聖障)、大きなドーム、祈りの声。五感に働きかけてくる場所です」と話した。
 完工は2024年。聖堂が装いを一新した姿を早く見たいと思う。
【山田一晶】

豊橋ハリストス正教会の資料を手にする伊藤さん=豊橋市の自宅で
豊橋ハリストス正教会の資料を手にする伊藤さん=豊橋市の自宅で
日露戦争のロシア人捕虜と豊橋の信者㊧、聖堂の上棟式。木造であることが分かる(写真は伊藤さん提供)
日露戦争のロシア人捕虜と豊橋の信者㊧、聖堂の上棟式。木造であることが分かる(写真は伊藤さん提供)
建設工事を監督した河村伊蔵㊧、完成した「豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂」の外周を行進する「十字行」。
建設工事を監督した河村伊蔵㊧、完成した「豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂」の外周を行進する「十字行」。

カテゴリー:社会・経済 / 芸能・文化

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