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吉田城の石垣に使われた? 壊されていた大塚南古墳の石室

破壊されていた大塚南古墳の石室(提供)
破壊されていた大塚南古墳の石室(提供)
吉田城の石垣
吉田城の石垣

 豊橋市文化財センターは19日、石巻本町にある国の史跡「馬越長火塚古墳群」の発掘調査をした結果、「大塚南古墳」の石室が大きく壊され、石材が運び出されていたとする調査結果を発表した。明治以前のことと推測されるが、地元には「吉田城の石垣を造るため、古墳を壊して石を持っていった」という口伝えが広く残っているという。それを裏付ける可能性がある。
 発表したセンターの岩原剛所長によると、大塚南古墳は直径19㍍の円墳。7世紀初頭に築かれたと考えられている。2008年度の発掘調査で横穴式石室があり、金銅装馬具が副葬されていたことが分かっている。
 昨年12月から調査を始めたところ、長さ約8㍍の横穴式石室は、側壁の石材が徹底的に抜き取られ、大きく破壊されていることが判明した。なくなった石の大きさは「ひと抱え程度」(岩原所長)という。一方で、巨大な天井石や奥の壁の石はそのまま残されていた。
 岩原所長は「横から穴を彫り、天井石を落としながら側壁の石を持ち出したとみられる。組織的で統制が取れた破壊だ」と分析する。ただ、副葬品の盗掘などで残る落とし物などがまったく見当たらなかったため、石を運び出した年代は分からない。
 石巻地区には吉田城石垣の石材採取伝説が残る。近くには「間川」が流れ、豊川(とよがわ)に合流する。「川を使って運び出した可能性がある」という。姫路城の石垣には古墳の石棺が転用されたことが知られる。吉田城の石垣の一部に大塚南古墳の石が入っている可能性はあるが、確認の方法はないとしている。
 隣り合う「長火塚古墳」を含めた今回の調査結果を発表する現地説明会は23日午前9時半から午後2時。馬越集会所前で受け付ける。無料。
【山田一晶】

 豊橋市文化財センターは19日、石巻本町にある国の史跡「馬越長火塚古墳群」の発掘調査をした結果、「大塚南古墳」の石室が大きく壊され、石材が運び出されていたとする調査結果を発表した。明治以前のことと推測されるが、地元には「吉田城の石垣を造るため、古墳を壊して石を持っていった」という口伝えが広く残っているという。それを裏付ける可能性がある。
 発表したセンターの岩原剛所長によると、大塚南古墳は直径19㍍の円墳。7世紀初頭に築かれたと考えられている。2008年度の発掘調査で横穴式石室があり、金銅装馬具が副葬されていたことが分かっている。
 昨年12月から調査を始めたところ、長さ約8㍍の横穴式石室は、側壁の石材が徹底的に抜き取られ、大きく破壊されていることが判明した。なくなった石の大きさは「ひと抱え程度」(岩原所長)という。一方で、巨大な天井石や奥の壁の石はそのまま残されていた。
 岩原所長は「横から穴を彫り、天井石を落としながら側壁の石を持ち出したとみられる。組織的で統制が取れた破壊だ」と分析する。ただ、副葬品の盗掘などで残る落とし物などがまったく見当たらなかったため、石を運び出した年代は分からない。
 石巻地区には吉田城石垣の石材採取伝説が残る。近くには「間川」が流れ、豊川(とよがわ)に合流する。「川を使って運び出した可能性がある」という。姫路城の石垣には古墳の石棺が転用されたことが知られる。吉田城の石垣の一部に大塚南古墳の石が入っている可能性はあるが、確認の方法はないとしている。
 隣り合う「長火塚古墳」を含めた今回の調査結果を発表する現地説明会は23日午前9時半から午後2時。馬越集会所前で受け付ける。無料。
【山田一晶】

破壊されていた大塚南古墳の石室(提供)
破壊されていた大塚南古墳の石室(提供)
吉田城の石垣
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カテゴリー:社会・経済 / 地域・教育

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