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4コマ漫画「ひがしさんち」6000号を達成

カテゴリー:特集

原社長から花束を贈られた鵜飼さん=東愛知新聞社で
原社長から花束を贈られた鵜飼さん=東愛知新聞社で
仕上げた原稿は端末から送信
仕上げた原稿は端末から送信
17年前の第1号
17年前の第1号

 蒲郡市の漫画家、鵜飼U子さんが本紙に連載中の4コマ漫画「ひがしさんち」が18日付で通算6000号を達成した。ほとんど休むことなく描き続けて17年。鵜飼さんは次の大台に向けて日々、ネタを探し続ける。
 第1号は2004年6月1日紙面に掲載された。当時はまだ、ナンバーが書かれておらず、載っているのもモノクロの社会面。ナンバーは30号を過ぎた頃についた。
 当時は完全に手描きだった漫画だが、今はアウトラインは手で、彩色はタブレット端末で作業している。画像を東愛知新聞社に送るのは楽になったが、デジタルの時代にあっても「手描きの温かみを残したかった」と鵜飼さんは言う。
 漫画家のプロデビューは結婚し、子育てが一段落してからと遅咲きだ。雑誌などが舞台だったが、新聞連載は大きなあこがれだった。
 かつて、別の新聞社から依頼を受けたことがある。まだ子育て中で、家族に迷惑をかけずに描き続ける自信がどうしても持てず、その時は断った。後悔があった。それが縁があって東愛知新聞社に誘われ、連載を始めることになった。この日まで、休んだのは3日間だけだ。
 文章のように、起承転結を心がける。ネットなどでニュースを常に追っている。
 新しいネタを思いついたら、完成していた原稿を差し替えることも。新聞紙という制約上、誰かを不快にいけないと、常に心がけ、最大公約数を目指す。「2歩、3歩と戻って見つめ直すことが大事」と言う。そんな中でも、会心作が生まれる。「やったあ、と叫びたくなる」と鵜飼さん。
 連載を楽しみにしているファンも多い。東愛知新聞社を訪れた鵜飼さんに、原基修社長から、6000号を記念した花が贈られた。鵜飼さんは「これからも頑張ります」と笑顔で答えた。
【山田一晶】

 蒲郡市の漫画家、鵜飼U子さんが本紙に連載中の4コマ漫画「ひがしさんち」が18日付で通算6000号を達成した。ほとんど休むことなく描き続けて17年。鵜飼さんは次の大台に向けて日々、ネタを探し続ける。
 第1号は2004年6月1日紙面に掲載された。当時はまだ、ナンバーが書かれておらず、載っているのもモノクロの社会面。ナンバーは30号を過ぎた頃についた。
 当時は完全に手描きだった漫画だが、今はアウトラインは手で、彩色はタブレット端末で作業している。画像を東愛知新聞社に送るのは楽になったが、デジタルの時代にあっても「手描きの温かみを残したかった」と鵜飼さんは言う。
 漫画家のプロデビューは結婚し、子育てが一段落してからと遅咲きだ。雑誌などが舞台だったが、新聞連載は大きなあこがれだった。
 かつて、別の新聞社から依頼を受けたことがある。まだ子育て中で、家族に迷惑をかけずに描き続ける自信がどうしても持てず、その時は断った。後悔があった。それが縁があって東愛知新聞社に誘われ、連載を始めることになった。この日まで、休んだのは3日間だけだ。
 文章のように、起承転結を心がける。ネットなどでニュースを常に追っている。
 新しいネタを思いついたら、完成していた原稿を差し替えることも。新聞紙という制約上、誰かを不快にいけないと、常に心がけ、最大公約数を目指す。「2歩、3歩と戻って見つめ直すことが大事」と言う。そんな中でも、会心作が生まれる。「やったあ、と叫びたくなる」と鵜飼さん。
 連載を楽しみにしているファンも多い。東愛知新聞社を訪れた鵜飼さんに、原基修社長から、6000号を記念した花が贈られた。鵜飼さんは「これからも頑張ります」と笑顔で答えた。
【山田一晶】

原社長から花束を贈られた鵜飼さん=東愛知新聞社で
原社長から花束を贈られた鵜飼さん=東愛知新聞社で
仕上げた原稿は端末から送信
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17年前の第1号
17年前の第1号

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