文字の大きさ

豊橋「吉田塾」に下町ボブスレー

下町ボブスレーの今後を語る黒坂浩太郎社長=吉田塾で
下町ボブスレーの今後を語る黒坂浩太郎社長=吉田塾で

 若手経営者らでつくる政治、経済、経営の勉強会「吉田塾」(塾長=山本明彦元副金融担当相)は21日夜、豊橋市西松山町の山本事務所で第124回例会を開いた。東京都大田区で三陽機械製作所を営む黒坂浩太郎社長を講師に、近隣の町工場を中心にした「下町ボブスレーネットワークプロジェクト」の歩みと今後について語った。
 黒坂社長は金属加工会社経営の傍ら、同プロジェクト推進委員会の第4代委員長を務める。冬季オリンピックのボブスレー競技で日本製のマシンが滑走するのを目指して活動している。
 プロジェクトはボブスレーのソリを開発し、町工場の技術力をアピールすることを狙いに2011年に始動した。
 町工場側は2人乗りに特化してソリのフレーム開発を担当。カウリングといわれる本体部分や空力解析、ソリの刃など大手企業や大学などと分業で手掛ける。日本やジャマイカなどの代表選手の使用実績もあるが、五輪での正式採用には至っていない。
 参入当時は取引先メーカーの海外進出などによる産業の空洞化が深刻化していた。縮小する市場の開拓に技術力を売り込む戦略で応じた。試作目的の1号機製作について黒坂さんは「できそうな部品を持ち帰り。納期の10日間でつくった」と当時を振り返った。
 翌12年には同じ仕様の2、3号機が女子の全日本選手権でデビューし、最高タイムを記録。まちも関連グッズを販売するなど町工場周辺はプロジェクトで盛り上がりを見せたという。
 着々と製作を重ね、8~10号機はジャマイカ代表に提供。ところが18年の韓国平昌五輪を前に急きょ不採用に。現在は強豪のイタリアチームの正式採用を目指している。
 本番を前に不採用を繰り返してきた10年の歴史を回想。ジャマイカの不採用時は現地からマシンが戻らないなどトラブルにも巻き込まれた。黒坂社長は「SNSが炎上する中での委員長就任だった。地元への思いで続いた。今は海外勢と付き合っているが、やはり五輪の日本代表からの採用が目標」と夢を諦めていないことを強調した。
【加藤広宣】

 若手経営者らでつくる政治、経済、経営の勉強会「吉田塾」(塾長=山本明彦元副金融担当相)は21日夜、豊橋市西松山町の山本事務所で第124回例会を開いた。東京都大田区で三陽機械製作所を営む黒坂浩太郎社長を講師に、近隣の町工場を中心にした「下町ボブスレーネットワークプロジェクト」の歩みと今後について語った。
 黒坂社長は金属加工会社経営の傍ら、同プロジェクト推進委員会の第4代委員長を務める。冬季オリンピックのボブスレー競技で日本製のマシンが滑走するのを目指して活動している。
 プロジェクトはボブスレーのソリを開発し、町工場の技術力をアピールすることを狙いに2011年に始動した。
 町工場側は2人乗りに特化してソリのフレーム開発を担当。カウリングといわれる本体部分や空力解析、ソリの刃など大手企業や大学などと分業で手掛ける。日本やジャマイカなどの代表選手の使用実績もあるが、五輪での正式採用には至っていない。
 参入当時は取引先メーカーの海外進出などによる産業の空洞化が深刻化していた。縮小する市場の開拓に技術力を売り込む戦略で応じた。試作目的の1号機製作について黒坂さんは「できそうな部品を持ち帰り。納期の10日間でつくった」と当時を振り返った。
 翌12年には同じ仕様の2、3号機が女子の全日本選手権でデビューし、最高タイムを記録。まちも関連グッズを販売するなど町工場周辺はプロジェクトで盛り上がりを見せたという。
 着々と製作を重ね、8~10号機はジャマイカ代表に提供。ところが18年の韓国平昌五輪を前に急きょ不採用に。現在は強豪のイタリアチームの正式採用を目指している。
 本番を前に不採用を繰り返してきた10年の歴史を回想。ジャマイカの不採用時は現地からマシンが戻らないなどトラブルにも巻き込まれた。黒坂社長は「SNSが炎上する中での委員長就任だった。地元への思いで続いた。今は海外勢と付き合っているが、やはり五輪の日本代表からの採用が目標」と夢を諦めていないことを強調した。
【加藤広宣】

下町ボブスレーの今後を語る黒坂浩太郎社長=吉田塾で
下町ボブスレーの今後を語る黒坂浩太郎社長=吉田塾で

カテゴリー:社会・経済

 PR

PR