蒲郡出身横綱「玉の海」没後50年法要
蒲郡市出身で27歳の若さで急逝した第51代横綱玉の海=ひと=の没後50年法要が命日となる11日、同市蒲郡町の天桂院で営まれた。
昨年から玉の海の同級生で、市相撲協会副理事の荒島伸好さんと有志が法要の準備を進めた。偉大な功績を残した悲劇の横綱の記憶を後世に伝える。荒島さんは中学生時代、玉の海と一緒に土俵の上で相撲を取った仲だった。
この日、寺には荒島さんと鈴木寿明市長、同級生、ファンら約30人が集まった。玉の海が眠る墓前で住職が経を唱え、参列者は手を合わせた。有志が「相撲甚句」を披露した。
その後、市民体育センターに移動し、施設内の相撲場と玉の海の記念碑を、同級生が掃除した。
荒島さんは「生きている限り、活動を続けたい」と話した。
【林大二朗】
玉の海
1944年生まれ。空襲で蒲郡に疎開して中学生まで過ごす。59年3月場所で初土俵、64年3月場所で新入幕、66年9月場所で大関昇進。70年3月場所から横綱。「玉乃島」から「玉の海」に改名する。71年7月場所で全勝優勝するなど、横綱在位中に4度、賜杯を手にした。その後、虫垂炎を発症しながら9月場所に出場するなどした結果、手術後の10月11日に「右肺動脈幹血栓症」で死亡した。同時昇進した横綱北の富士とともに「北玉時代」を築いており、突然の死に衝撃が走った。
蒲郡市出身で27歳の若さで急逝した第51代横綱玉の海=ひと=の没後50年法要が命日となる11日、同市蒲郡町の天桂院で営まれた。
昨年から玉の海の同級生で、市相撲協会副理事の荒島伸好さんと有志が法要の準備を進めた。偉大な功績を残した悲劇の横綱の記憶を後世に伝える。荒島さんは中学生時代、玉の海と一緒に土俵の上で相撲を取った仲だった。
この日、寺には荒島さんと鈴木寿明市長、同級生、ファンら約30人が集まった。玉の海が眠る墓前で住職が経を唱え、参列者は手を合わせた。有志が「相撲甚句」を披露した。
その後、市民体育センターに移動し、施設内の相撲場と玉の海の記念碑を、同級生が掃除した。
荒島さんは「生きている限り、活動を続けたい」と話した。
【林大二朗】
玉の海
1944年生まれ。空襲で蒲郡に疎開して中学生まで過ごす。59年3月場所で初土俵、64年3月場所で新入幕、66年9月場所で大関昇進。70年3月場所から横綱。「玉乃島」から「玉の海」に改名する。71年7月場所で全勝優勝するなど、横綱在位中に4度、賜杯を手にした。その後、虫垂炎を発症しながら9月場所に出場するなどした結果、手術後の10月11日に「右肺動脈幹血栓症」で死亡した。同時昇進した横綱北の富士とともに「北玉時代」を築いており、突然の死に衝撃が走った。