文字の大きさ

新城の東御河屋製菓が異業種間で事業承継

今泉会長と田中社長=新城市の東御河屋製菓で
今泉会長と田中社長=新城市の東御河屋製菓で
創業した今泉秀次さん(提供)
創業した今泉秀次さん(提供)
和菓子製造工場(同)
和菓子製造工場(同)

山本製作所の田中さんが就任

 銘菓「本宮の森」などで知られる新城市豊島の和菓子製造販売「東御河屋製菓」(屋号は「とみかわや」)で社長交代があった。昨年12月23日付。半世紀にわたり社長を勤めた今泉寿凰さん(75)は代表権のない会長に就いた。新社長は、田中倫子さん(36)。自動車部品などの製造加工「山本製作所」(豊川市宿町)の社長だ。トップの世代が離れ、しかも異業種間での事業承継の経緯を聞いた。

 山本製作所は、元々は企業間取引の会社だったが、猫の形をした抗ウイルスアイテム「しっぽ貸し手」(2020年5月発売)で全国にブレークした。その後も「YSSBRAND」でさまざまなグッズをネット販売している。
 新型コロナウイルス禍で「とみかわや」の魅力的な和菓子を広く発信するため、コラボ商品「はにゃまるもちセット」を同年12月にオンライン販売したことに両社の関係は始まる。市特産の八名丸(やなまる)里芋と四谷千枚田でとれたもち米を使った人気の「はなまるもち」に、山本製作所が得意の真ちゅうで作った「黒文字(くろもじ)」を組み合わせた。
 今泉さんと田中さんがやり取りする中で、東御河屋製菓の後継者がいないことが自然と話題になった。今泉さんの子どもは継いでくれそうもなかった。「親の仕事の大変さを見ていれば当然だ」と今泉さんは言う。
 1930(昭和5)年に父秀次さんが始めた小さなせんべい屋が原点。63年に末っ子だった今泉さんが家業を継いだ。外で働いていたが、秀次さんから懇願されたという。67年に法人化した。
 休みなく働き続け、本社に加え新城市と豊橋市に直営店を構え、スーパーなどにも商品を納入するまでになった。だが8年後の創業100周年を控え、このまま続けるのは難しいと感じ、事業承継を考え始めた。
 買収に手を上げた会社が2社ある。一つは上場企業。もう一つは地元企業。話を聞いたが「大手に振り回されたくない」と感じた。そこで山本製作所と共通の経営コンサルタント、永田るり子さんのアドバイスで、事業承継が動き始めた。「はにゃまるもちセット」のコラボもその流れの一つだ。「企業規模の差がないことが良かった。そして地域に根ざしていくためにもいい相手だと思った」という。SNSの利用など、自分にはない若いセンスも重要だと感じた。
 山本製作所は田中さんが社長になってから夏季限定で、かき氷店を経営している。和菓子製造の経験はないが、会社のコンセプト「時が流れても変わらない人の温もりを感じるモノ作り」にマッチすると考えた。とみかわやの「いつもいつも ありがとうといっしょに」にも重なる。共通するのは「地域に笑顔と元気を」だった。
 金属切削などに比べれば、和菓子づくりの「加工精度」は低くていい。老朽化した生産設備の部品が壊れたら、山本製作所で作ればいい。そんなことも計算したという。「まったく知識のない自分が引き継ぐことで起きる『化学反応』が楽しみ」と田中さん。さらに「自分が和菓子職人になるのは無理。でも、フィールドをつくれば職人が育っていく」と見通しを語った。
 両者が事業承継に合意し、株式譲渡契約を結ぶ日の朝。今泉さんは仏前で手を合わせ、亡き両親に向かっていつもより長く話しかけた。親が興してくれた会社を手放す寂しさの一方、この判断が正しかったことを説明したという。
 そして昨年末に社長交代が完了。今月になって公表した。
 今泉さんは現在、本社に来ても「なるべく、口出ししないようにしている」と笑った。田中さんは今月に入ってから、売り子として直営店に立ち、納入先へ商品を届ける業務を始めた。
 25日には東御河屋製菓のウェブサイトに社告が出た。これまで年中無休だったが、2月1日から「働き方改革とメンテナンス日確保のため」、店ごとに月2回を定休日とするという。「タナカイズム」の第1弾だ。社内でのリスニング結果を採り入れ「健康経営」を目指した。
 今後も新しい経営マインドによる老舗会社の改革が続く。
【山田一晶】

山本製作所の田中さんが就任

 銘菓「本宮の森」などで知られる新城市豊島の和菓子製造販売「東御河屋製菓」(屋号は「とみかわや」)で社長交代があった。昨年12月23日付。半世紀にわたり社長を勤めた今泉寿凰さん(75)は代表権のない会長に就いた。新社長は、田中倫子さん(36)。自動車部品などの製造加工「山本製作所」(豊川市宿町)の社長だ。トップの世代が離れ、しかも異業種間での事業承継の経緯を聞いた。

 山本製作所は、元々は企業間取引の会社だったが、猫の形をした抗ウイルスアイテム「しっぽ貸し手」(2020年5月発売)で全国にブレークした。その後も「YSSBRAND」でさまざまなグッズをネット販売している。
 新型コロナウイルス禍で「とみかわや」の魅力的な和菓子を広く発信するため、コラボ商品「はにゃまるもちセット」を同年12月にオンライン販売したことに両社の関係は始まる。市特産の八名丸(やなまる)里芋と四谷千枚田でとれたもち米を使った人気の「はなまるもち」に、山本製作所が得意の真ちゅうで作った「黒文字(くろもじ)」を組み合わせた。
 今泉さんと田中さんがやり取りする中で、東御河屋製菓の後継者がいないことが自然と話題になった。今泉さんの子どもは継いでくれそうもなかった。「親の仕事の大変さを見ていれば当然だ」と今泉さんは言う。
 1930(昭和5)年に父秀次さんが始めた小さなせんべい屋が原点。63年に末っ子だった今泉さんが家業を継いだ。外で働いていたが、秀次さんから懇願されたという。67年に法人化した。
 休みなく働き続け、本社に加え新城市と豊橋市に直営店を構え、スーパーなどにも商品を納入するまでになった。だが8年後の創業100周年を控え、このまま続けるのは難しいと感じ、事業承継を考え始めた。
 買収に手を上げた会社が2社ある。一つは上場企業。もう一つは地元企業。話を聞いたが「大手に振り回されたくない」と感じた。そこで山本製作所と共通の経営コンサルタント、永田るり子さんのアドバイスで、事業承継が動き始めた。「はにゃまるもちセット」のコラボもその流れの一つだ。「企業規模の差がないことが良かった。そして地域に根ざしていくためにもいい相手だと思った」という。SNSの利用など、自分にはない若いセンスも重要だと感じた。
 山本製作所は田中さんが社長になってから夏季限定で、かき氷店を経営している。和菓子製造の経験はないが、会社のコンセプト「時が流れても変わらない人の温もりを感じるモノ作り」にマッチすると考えた。とみかわやの「いつもいつも ありがとうといっしょに」にも重なる。共通するのは「地域に笑顔と元気を」だった。
 金属切削などに比べれば、和菓子づくりの「加工精度」は低くていい。老朽化した生産設備の部品が壊れたら、山本製作所で作ればいい。そんなことも計算したという。「まったく知識のない自分が引き継ぐことで起きる『化学反応』が楽しみ」と田中さん。さらに「自分が和菓子職人になるのは無理。でも、フィールドをつくれば職人が育っていく」と見通しを語った。
 両者が事業承継に合意し、株式譲渡契約を結ぶ日の朝。今泉さんは仏前で手を合わせ、亡き両親に向かっていつもより長く話しかけた。親が興してくれた会社を手放す寂しさの一方、この判断が正しかったことを説明したという。
 そして昨年末に社長交代が完了。今月になって公表した。
 今泉さんは現在、本社に来ても「なるべく、口出ししないようにしている」と笑った。田中さんは今月に入ってから、売り子として直営店に立ち、納入先へ商品を届ける業務を始めた。
 25日には東御河屋製菓のウェブサイトに社告が出た。これまで年中無休だったが、2月1日から「働き方改革とメンテナンス日確保のため」、店ごとに月2回を定休日とするという。「タナカイズム」の第1弾だ。社内でのリスニング結果を採り入れ「健康経営」を目指した。
 今後も新しい経営マインドによる老舗会社の改革が続く。
【山田一晶】

今泉会長と田中社長=新城市の東御河屋製菓で
今泉会長と田中社長=新城市の東御河屋製菓で
創業した今泉秀次さん(提供)
創業した今泉秀次さん(提供)
和菓子製造工場(同)
和菓子製造工場(同)

カテゴリー:社会・経済

 PR

PR