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地域の「先生」に学ぶ農と食

カテゴリー:特集

自分で作ったキャベツを使ったシュウマイを頬張る児童=豊橋市磯辺小学校で
自分で作ったキャベツを使ったシュウマイを頬張る児童=豊橋市磯辺小学校で
彦坂さんの説明を聞いた後でキャベツの収穫
彦坂さんの説明を聞いた後でキャベツの収穫

豊橋磯辺小児童が収穫したキャベツで作ったシュウマイ堪能

 豊橋市東部の市立磯辺小学校のグラウンドに隣接するキャベツ畑。児童たちが、生産者の説明に注意深く耳を傾けながら、畑の中でお気に入りのキャベツを選び、包丁でけがをしないように収穫した。手にしたキャベツを比べあう笑顔があふれ、楽しそうな声が聞こえる。とてもほほ笑ましい情景である一方で、残念ながら見慣れない風景でもある。近所のキャベツ生産者の「食」、それに近所の中華料理人の「食」との触れ合いを通じて食べ物を作ること、食べることをつなげる取り組みを取材した。

■農と暮らし
 子どもたちにキャベツの生産を経験させている彦坂年亮さん。「スーパーで買うと100円のキャベツは、これだけの時間をかけ、土を作り、肥料を入れ、たくさんの手が入っていることを知ってほしい」と、この取り組みの理由を語る。
 磯辺小学校の3年生85人は総合学習として学校周辺のキャベツの生産の経過を体験している。昨年夏から種まきし、肥料をまいたり、草むしりをしたり、すべての工程を自分たちでやった。
 彦坂さんは「子どもに教えるどころか多くを教わっている。虫に食べられるので農薬をまくという話をしたところ、ある児童は虫食いの野菜は嫌だと。またある児童は自分のキャベツに袋をかぶせて『無農薬が良い』と言ってきた。いろいろな考え方がある」と多様性の尊重を学んだという。 児童の靴は土にまみれ、手は泥だらけ、そして強い風に手はかじかみ、頬はカサカサし、冷たくなる。しかしマスクに覆われてすべては見られない児童の表情や動作、声色からは、明らかに楽しみ、多くのものを感じ取っていると分かる。
■食と暮らし
 収穫をしたキャベツは、本来なら校区内で中華料理「道」を営む大竹孝昌さんの指導のもと、調理実習として自分たちでシュウマイを作る予定だった。しかしコロナ禍の規制や保護者の懸念を考え、大竹さんがキャベツを店に持ち帰って調理し、給食の時間に届けることになった。
 シュウマイをもって直接教室を訪れた大竹さん。各クラス70個、1人2個分の計算でかなり余る量を調理し、持って行ったが、配膳台からシュウマイはすべてなくなっていた。おかわり希望が殺到し、キャベツが嫌いな児童が「おいしいのでおかわりが欲しい」と目を輝かせた。大竹さんは、嫌いなものは嫌い、おいしいものはおいしいと素直に表現する年頃の児童から「おいしい」と直接言われることは料理人冥利に尽きるという。
 「料理が口に入った瞬間の児童の笑顔は、料理人への何よりのご褒美。単発ではなく、ずっと継続したい。地元の小学校に限らず、小中学校にこの取り組みを広げていきたい」と話す。
■食と農をつなぐ
 キャベツ生産者が、生産の現場と児童をつなぐ。プロの料理人が、食べ物と児童をつなぐ。児童は、農産物がどのように作られ、調理され、食卓に上がるかを学ぶのではなく、経験する。
 家庭で保護者に作ってもらうおいしい食事、給食センターで作ってもらうおいしい給食に対して感謝の気持ちを持ち、食べることももちろん重要だ。同じくらい重要なのは、生産者の思いを経験し、作ってくれる人の思いを経験し、食べること。
 当たり前だが思い入れが違う。自分が作ったキャベツが入ったシュウマイを児童たちは、じっくり見て、よくかんで、あとからやってくる甘みをゆっくり感じていた。作業では手がかじかんだこと、温かい教室から寒い中、畑に嫌々移動したこと、土が爪の間からとれなかったこと。
 こうして誰から教えられることなく、食べ物は生産され、食卓に届くと学んだのだ。キャベツ嫌いの児童も「野菜も体にいいから食べなさいよ」と言われなくても、自分たちのキャベツで作ったシュウマイ(肉は田原市産の豚肉)を喜んで食べるのだ。
 子を持つ親として思う。先生や親の口うるさい言葉や、説教臭い新聞記事より、磯辺小学校の児童は経験から学んだ。はるかに多い情報量を。豊橋に住むすべての人間が農業「体験」にわざわざ足を運ぶのではなく、暮らしの中で農業と食べることを「経験」できるのならば、東京など大都市圏の子を持つ世帯が、家族で「わざわざ」豊橋に永住する理由になるのではないか。豊橋にしかない魅力を創り出す土壌に思えてならない。
(本紙客員編集委員・関健一郎)

豊橋磯辺小児童が収穫したキャベツで作ったシュウマイ堪能

 豊橋市東部の市立磯辺小学校のグラウンドに隣接するキャベツ畑。児童たちが、生産者の説明に注意深く耳を傾けながら、畑の中でお気に入りのキャベツを選び、包丁でけがをしないように収穫した。手にしたキャベツを比べあう笑顔があふれ、楽しそうな声が聞こえる。とてもほほ笑ましい情景である一方で、残念ながら見慣れない風景でもある。近所のキャベツ生産者の「食」、それに近所の中華料理人の「食」との触れ合いを通じて食べ物を作ること、食べることをつなげる取り組みを取材した。

■農と暮らし
 子どもたちにキャベツの生産を経験させている彦坂年亮さん。「スーパーで買うと100円のキャベツは、これだけの時間をかけ、土を作り、肥料を入れ、たくさんの手が入っていることを知ってほしい」と、この取り組みの理由を語る。
 磯辺小学校の3年生85人は総合学習として学校周辺のキャベツの生産の経過を体験している。昨年夏から種まきし、肥料をまいたり、草むしりをしたり、すべての工程を自分たちでやった。
 彦坂さんは「子どもに教えるどころか多くを教わっている。虫に食べられるので農薬をまくという話をしたところ、ある児童は虫食いの野菜は嫌だと。またある児童は自分のキャベツに袋をかぶせて『無農薬が良い』と言ってきた。いろいろな考え方がある」と多様性の尊重を学んだという。 児童の靴は土にまみれ、手は泥だらけ、そして強い風に手はかじかみ、頬はカサカサし、冷たくなる。しかしマスクに覆われてすべては見られない児童の表情や動作、声色からは、明らかに楽しみ、多くのものを感じ取っていると分かる。
■食と暮らし
 収穫をしたキャベツは、本来なら校区内で中華料理「道」を営む大竹孝昌さんの指導のもと、調理実習として自分たちでシュウマイを作る予定だった。しかしコロナ禍の規制や保護者の懸念を考え、大竹さんがキャベツを店に持ち帰って調理し、給食の時間に届けることになった。
 シュウマイをもって直接教室を訪れた大竹さん。各クラス70個、1人2個分の計算でかなり余る量を調理し、持って行ったが、配膳台からシュウマイはすべてなくなっていた。おかわり希望が殺到し、キャベツが嫌いな児童が「おいしいのでおかわりが欲しい」と目を輝かせた。大竹さんは、嫌いなものは嫌い、おいしいものはおいしいと素直に表現する年頃の児童から「おいしい」と直接言われることは料理人冥利に尽きるという。
 「料理が口に入った瞬間の児童の笑顔は、料理人への何よりのご褒美。単発ではなく、ずっと継続したい。地元の小学校に限らず、小中学校にこの取り組みを広げていきたい」と話す。
■食と農をつなぐ
 キャベツ生産者が、生産の現場と児童をつなぐ。プロの料理人が、食べ物と児童をつなぐ。児童は、農産物がどのように作られ、調理され、食卓に上がるかを学ぶのではなく、経験する。
 家庭で保護者に作ってもらうおいしい食事、給食センターで作ってもらうおいしい給食に対して感謝の気持ちを持ち、食べることももちろん重要だ。同じくらい重要なのは、生産者の思いを経験し、作ってくれる人の思いを経験し、食べること。
 当たり前だが思い入れが違う。自分が作ったキャベツが入ったシュウマイを児童たちは、じっくり見て、よくかんで、あとからやってくる甘みをゆっくり感じていた。作業では手がかじかんだこと、温かい教室から寒い中、畑に嫌々移動したこと、土が爪の間からとれなかったこと。
 こうして誰から教えられることなく、食べ物は生産され、食卓に届くと学んだのだ。キャベツ嫌いの児童も「野菜も体にいいから食べなさいよ」と言われなくても、自分たちのキャベツで作ったシュウマイ(肉は田原市産の豚肉)を喜んで食べるのだ。
 子を持つ親として思う。先生や親の口うるさい言葉や、説教臭い新聞記事より、磯辺小学校の児童は経験から学んだ。はるかに多い情報量を。豊橋に住むすべての人間が農業「体験」にわざわざ足を運ぶのではなく、暮らしの中で農業と食べることを「経験」できるのならば、東京など大都市圏の子を持つ世帯が、家族で「わざわざ」豊橋に永住する理由になるのではないか。豊橋にしかない魅力を創り出す土壌に思えてならない。
(本紙客員編集委員・関健一郎)

自分で作ったキャベツを使ったシュウマイを頬張る児童=豊橋市磯辺小学校で
自分で作ったキャベツを使ったシュウマイを頬張る児童=豊橋市磯辺小学校で
彦坂さんの説明を聞いた後でキャベツの収穫
彦坂さんの説明を聞いた後でキャベツの収穫

カテゴリー:特集

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