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豊橋出身「光の画家」 松井守男さん死去

松井守男さん(提供)
松井守男さん(提供)
ホテルアークリッシュ豊橋に展示されている大作=4月11日
ホテルアークリッシュ豊橋に展示されている大作=4月11日

 豊橋市出身で現代フランス画壇を代表する作家の一人、松井守男さんが5月30日、虚血性心疾患のため東京都内のアトリエで亡くなった。79歳だった。豊橋特別ふるさと大使を務めていた。都内で親族が5日に密葬を営む。

 豊橋市立下地小学校、同北部中学校、県立豊橋東高校出身。武蔵野美術大学造形学部油絵科を卒業し、フランス政府給費留学生として新しい芸術を求めて渡仏した。当初はパリを拠点に活動、アカデミー・ジュリアンやパリ国立美術学校で学び、1969年には自身に大きな影響を与えるピカソとの出会いがあった。苦労を重ねた後に大作「遺言」を85年に発表し脚光を浴びた。98年にはコルシカ島に移住し、2000年にフランス政府から芸術文化勲章、03年には「レジオン・ドヌール勲章」を受けた。
 面相筆による大画面に重ねて描く作風から「光の画家」と呼ばれた。フランスの「ルルド」で展覧会を成功させ、京都の宝泉院や上賀茂神社、三千院などでふすま絵などを手掛けた。女優の吉永小百合さんをモデルに10㍍級の大作も発表、国連のユネスコ本部にもコレクションがあるなど、日仏両国の美術界に歴史を刻んだ。
 日本国籍のまま、1年の半分をコルシカ島で過ごし、東京・神田明神文化交流館、長崎県五島市なども拠点に活動。豊橋市にもこと有るごとに足を運び、「豊橋発の文化事業を」と訴え続けた。昨年1月にNHKの「日曜美術館」で特集が放映され、大きな反響を呼んだのも記憶に新しい。

 温厚な人柄だが、ひとたび絵筆を握ると表情は厳しく変わった。子どもたちや障害のある人、高齢者らとのワークショップも積極的に展開した。一人のアーティストとして子どもたちの創造力に感激し、描きたい気持ちを伸ばす役割も担った。
 新型コロナウイルス禍でフランスに戻れない期間も精力的に動いた。瀬戸内海の家島での制作活動、東愛知サロン会での講師、初の自伝にしてビジネス書「夕日が青く見えた日」の出版。戦争の痛ましさを伝えようと「豊川海軍工廠」を手掛け、一昨年は豊川市桜ヶ丘ミュージアムへの展示も実現した。ロシアによるウクライナ侵攻に心を痛め、コルシカ島の自身のアトリエに避難民を預かった。その思いを聞き、戦争の悲惨さを伝えようと描いた大作は、現在、豊橋市駅前大通1の「ホテルアークリッシュ豊橋」に飾られている。
 これから力を入れようとしていたプロジェクトは「東北復興」。東日本大震災の被災地を経済的に、文化的に盛り上げるとともに平和の大切さを訴えようと、いまだに全町避難が続く福島県双葉町に滞在し、大作を描きあげる予定だった。今年3月に一時帰国し、つい最近も現地に足を運び、計画を練り上げていたところだった。
【田中博子】

 豊橋市出身で現代フランス画壇を代表する作家の一人、松井守男さんが5月30日、虚血性心疾患のため東京都内のアトリエで亡くなった。79歳だった。豊橋特別ふるさと大使を務めていた。都内で親族が5日に密葬を営む。

 豊橋市立下地小学校、同北部中学校、県立豊橋東高校出身。武蔵野美術大学造形学部油絵科を卒業し、フランス政府給費留学生として新しい芸術を求めて渡仏した。当初はパリを拠点に活動、アカデミー・ジュリアンやパリ国立美術学校で学び、1969年には自身に大きな影響を与えるピカソとの出会いがあった。苦労を重ねた後に大作「遺言」を85年に発表し脚光を浴びた。98年にはコルシカ島に移住し、2000年にフランス政府から芸術文化勲章、03年には「レジオン・ドヌール勲章」を受けた。
 面相筆による大画面に重ねて描く作風から「光の画家」と呼ばれた。フランスの「ルルド」で展覧会を成功させ、京都の宝泉院や上賀茂神社、三千院などでふすま絵などを手掛けた。女優の吉永小百合さんをモデルに10㍍級の大作も発表、国連のユネスコ本部にもコレクションがあるなど、日仏両国の美術界に歴史を刻んだ。
 日本国籍のまま、1年の半分をコルシカ島で過ごし、東京・神田明神文化交流館、長崎県五島市なども拠点に活動。豊橋市にもこと有るごとに足を運び、「豊橋発の文化事業を」と訴え続けた。昨年1月にNHKの「日曜美術館」で特集が放映され、大きな反響を呼んだのも記憶に新しい。

 温厚な人柄だが、ひとたび絵筆を握ると表情は厳しく変わった。子どもたちや障害のある人、高齢者らとのワークショップも積極的に展開した。一人のアーティストとして子どもたちの創造力に感激し、描きたい気持ちを伸ばす役割も担った。
 新型コロナウイルス禍でフランスに戻れない期間も精力的に動いた。瀬戸内海の家島での制作活動、東愛知サロン会での講師、初の自伝にしてビジネス書「夕日が青く見えた日」の出版。戦争の痛ましさを伝えようと「豊川海軍工廠」を手掛け、一昨年は豊川市桜ヶ丘ミュージアムへの展示も実現した。ロシアによるウクライナ侵攻に心を痛め、コルシカ島の自身のアトリエに避難民を預かった。その思いを聞き、戦争の悲惨さを伝えようと描いた大作は、現在、豊橋市駅前大通1の「ホテルアークリッシュ豊橋」に飾られている。
 これから力を入れようとしていたプロジェクトは「東北復興」。東日本大震災の被災地を経済的に、文化的に盛り上げるとともに平和の大切さを訴えようと、いまだに全町避難が続く福島県双葉町に滞在し、大作を描きあげる予定だった。今年3月に一時帰国し、つい最近も現地に足を運び、計画を練り上げていたところだった。
【田中博子】

松井守男さん(提供)
松井守男さん(提供)
ホテルアークリッシュ豊橋に展示されている大作=4月11日
ホテルアークリッシュ豊橋に展示されている大作=4月11日

カテゴリー:社会・経済

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