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田原の渥美線機銃掃射の慰霊碑で同級生供養

追悼の言葉を述べる彦坂さん(手前)と、犠牲者の冥福を祈る参拝者ら=田原市豊島町天白で
追悼の言葉を述べる彦坂さん(手前)と、犠牲者の冥福を祈る参拝者ら=田原市豊島町天白で

 戦後72年目の終戦記念日が近づいている。田原市内を走る渥美線電車を襲った機銃掃射の悲劇が起こった同市豊島町天白で12日午前、当時の乗客と目撃者、犠牲者の同級生ら15人が慰霊碑を訪れ、慰霊法要を営んだ。参拝者らは犠牲者の冥福を祈り、平和への誓いを新たにした。
 悲劇は終戦直前、1945(昭和20)年8月14日の出来事。三河田原駅から出発した電車は直後に米軍機の機銃掃射を受けた。成章中学校の生徒や車掌ら15人が亡くなり、16人が負傷した。
 慰霊法要は、渥美線機銃掃射の研究調査を進めてきた山田政俊さん(73)=同市=が世話人となり、戦後70年の節目から続け、今年で3回目。
 法要では献花を行い、同級生を失った彦坂昭市さん(86)=同市=が「忠君愛国は間違いで、国や財産より人間の命が大切」とした上で、機銃掃射の話を聞いて市内の児童が書いた作文を紹介し「戦争は勝っても負けても良いことは何もない。何があっても絶対に戦争はやってはいけない」と不戦を誓い、代表で追悼の言葉を述べた。
 渥美病院の看護師として負傷者らを手当てした河合アヤエさん(91)=同市=は「未来のために若い人たちが平和について少しでも考えてもらえたら」と願いを話した。
(千葉敬也)

 戦後72年目の終戦記念日が近づいている。田原市内を走る渥美線電車を襲った機銃掃射の悲劇が起こった同市豊島町天白で12日午前、当時の乗客と目撃者、犠牲者の同級生ら15人が慰霊碑を訪れ、慰霊法要を営んだ。参拝者らは犠牲者の冥福を祈り、平和への誓いを新たにした。
 悲劇は終戦直前、1945(昭和20)年8月14日の出来事。三河田原駅から出発した電車は直後に米軍機の機銃掃射を受けた。成章中学校の生徒や車掌ら15人が亡くなり、16人が負傷した。
 慰霊法要は、渥美線機銃掃射の研究調査を進めてきた山田政俊さん(73)=同市=が世話人となり、戦後70年の節目から続け、今年で3回目。
 法要では献花を行い、同級生を失った彦坂昭市さん(86)=同市=が「忠君愛国は間違いで、国や財産より人間の命が大切」とした上で、機銃掃射の話を聞いて市内の児童が書いた作文を紹介し「戦争は勝っても負けても良いことは何もない。何があっても絶対に戦争はやってはいけない」と不戦を誓い、代表で追悼の言葉を述べた。
 渥美病院の看護師として負傷者らを手当てした河合アヤエさん(91)=同市=は「未来のために若い人たちが平和について少しでも考えてもらえたら」と願いを話した。
(千葉敬也)

追悼の言葉を述べる彦坂さん(手前)と、犠牲者の冥福を祈る参拝者ら=田原市豊島町天白で
追悼の言葉を述べる彦坂さん(手前)と、犠牲者の冥福を祈る参拝者ら=田原市豊島町天白で

カテゴリー:社会・経済

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