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豊橋の坂津寺貝塚で説明会

発掘調査で見つかった貝層=豊橋市牟呂町で
発掘調査で見つかった貝層=豊橋市牟呂町で

 豊橋市教育委員会文化財センターが発掘調査を進めている牟呂町境松の坂津寺貝塚で18日、現地説明会が開かれた。約4200年前、縄文時代中期後半の貝塚で、ハマグリ加工場だったとみられ、訪れた考古学ファンや近隣住民らは歴史ロマンへ思いをはせた。
 発掘調査は、牟呂坂津地区の土地区画整理事業に伴い、昨年5月中旬から3月末までの日程で1350平方㍍を対象に実施されている。
 かつて豊川(とよがわ)河口部、三河湾に面していた場所で、貝塚は斜面に築かれ、推定で長さ約40㍍、幅8㍍の規模となり、最大で1・6㍍の厚さに貝殻がたい積していた。
 説明会は午前、午後の2回あり、調査員が解説。出土する貝の大半がハマグリで、生活必需品が少量しか出土していない上、周辺には同じ時期の集落が見つかっていないため、干し貝を専門的に作る加工場だったと説明した。
 縄文時代中期の西日本で、これだけ大規模な貝の加工場は確認されていないという。
 「周辺に集落がないため、同じ時期に集落があった豊川中流域(豊橋・石巻地区)の人たちが豊川を下り、この場所で貝を加工し、集落へ戻って交易を行っていたと考えられる」と推測。交易を前提にした活発な生業活動は縄文後期以降に発達したとされていたが、「それより1000年前ほど古い時代から交易があったのでは」と話した。
 干し貝は、土器に貝を入れて海水で煮込み、水分がなくなったら天日で乾燥させ、作っていたと考えられる。
 現場には、大量のハマグリの貝殻や、土器を据えた石を使った石敷き炉が確認でき、訪れた人たちはじっくり観察したり、写真を撮ったりしていた。
 小学3年生の女の子を連れて来た母親(46)は「近所に住んでいるので、関心を寄せていました。ここでハマグリを加工し、交易していたとは興味深いですね」と話していた。
(中村晋也)

 豊橋市教育委員会文化財センターが発掘調査を進めている牟呂町境松の坂津寺貝塚で18日、現地説明会が開かれた。約4200年前、縄文時代中期後半の貝塚で、ハマグリ加工場だったとみられ、訪れた考古学ファンや近隣住民らは歴史ロマンへ思いをはせた。
 発掘調査は、牟呂坂津地区の土地区画整理事業に伴い、昨年5月中旬から3月末までの日程で1350平方㍍を対象に実施されている。
 かつて豊川(とよがわ)河口部、三河湾に面していた場所で、貝塚は斜面に築かれ、推定で長さ約40㍍、幅8㍍の規模となり、最大で1・6㍍の厚さに貝殻がたい積していた。
 説明会は午前、午後の2回あり、調査員が解説。出土する貝の大半がハマグリで、生活必需品が少量しか出土していない上、周辺には同じ時期の集落が見つかっていないため、干し貝を専門的に作る加工場だったと説明した。
 縄文時代中期の西日本で、これだけ大規模な貝の加工場は確認されていないという。
 「周辺に集落がないため、同じ時期に集落があった豊川中流域(豊橋・石巻地区)の人たちが豊川を下り、この場所で貝を加工し、集落へ戻って交易を行っていたと考えられる」と推測。交易を前提にした活発な生業活動は縄文後期以降に発達したとされていたが、「それより1000年前ほど古い時代から交易があったのでは」と話した。
 干し貝は、土器に貝を入れて海水で煮込み、水分がなくなったら天日で乾燥させ、作っていたと考えられる。
 現場には、大量のハマグリの貝殻や、土器を据えた石を使った石敷き炉が確認でき、訪れた人たちはじっくり観察したり、写真を撮ったりしていた。
 小学3年生の女の子を連れて来た母親(46)は「近所に住んでいるので、関心を寄せていました。ここでハマグリを加工し、交易していたとは興味深いですね」と話していた。
(中村晋也)

発掘調査で見つかった貝層=豊橋市牟呂町で
発掘調査で見つかった貝層=豊橋市牟呂町で

カテゴリー:社会・経済

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