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田原衣笠小6年生が紙芝居「江崎巡査物語」制作

命がけで職務を全うする江崎巡査の姿を描いた紙芝居「江崎巡査物語」を披露する児童たち=衣笠小学校で
命がけで職務を全うする江崎巡査の姿を描いた紙芝居「江崎巡査物語」を披露する児童たち=衣笠小学校で

 自らの命を顧みず、疫病・コレラから田原を守った江崎邦助巡査(享年25)と妻・じう(同19)夫婦の実話を後世に伝える大型紙芝居(縦55㌢、横80㌢)を田原市立衣笠小学校の6年生が作り、16日、下級生の前で初めて上演した。
 江崎巡査は1886(明治19)年、コレラが大流行する中、豊橋警察田原分署(現田原署)に着任。当時の警察官は、保健衛生も職務とされていたため、感染者が確認された渥美半島の堀切村(堀切町)で、防疫任務として村での消毒を試みようとしたが、「コレラと分かれば毒殺される」などと噂が飛び交い、村人から激しい抵抗を受けた。身の危険を顧みず説得を続けた結果、村人はようやく消毒に応じたものの、自らがコレラに感染。じうに看病されながら亡くなり、3日後、じうもコレラにより生涯を終えた。
 殉職地近くの衣笠小は毎年、6年生が劇「江崎巡査物語」を学芸会で披露。児童たちは「紙芝居を作り、もっと江崎巡査の功績をたくさんの人に伝えたい」と、1月下旬から1カ月半かけ制作してきた。読み聞かせ・図書ボランティアの力を借り、画用紙16枚に和紙や色画用紙を貼りつけ、6年生総勢52人で仕上げた。
 この日は、2回にわたり、6年生が5年生に向け上演。紙芝居の途中には、人形パネルや人力車の模型も使い、命がけで職務を全うする江崎巡査の姿を臨場感を持って伝えた。
 6年生たちは「ボランティアの人たちのおかげで、すごい紙芝居ができた」「想像よりとてもいい作品ができた」など出来栄えに大満足。今後、紙芝居は後輩へと引き継がれる予定。6年の牧野友飛君(12)は「まだ改善できるところがある。後輩たちにはもっと完璧な演技をしてほしい」と期待を寄せた。
(飯塚雪)

 自らの命を顧みず、疫病・コレラから田原を守った江崎邦助巡査(享年25)と妻・じう(同19)夫婦の実話を後世に伝える大型紙芝居(縦55㌢、横80㌢)を田原市立衣笠小学校の6年生が作り、16日、下級生の前で初めて上演した。
 江崎巡査は1886(明治19)年、コレラが大流行する中、豊橋警察田原分署(現田原署)に着任。当時の警察官は、保健衛生も職務とされていたため、感染者が確認された渥美半島の堀切村(堀切町)で、防疫任務として村での消毒を試みようとしたが、「コレラと分かれば毒殺される」などと噂が飛び交い、村人から激しい抵抗を受けた。身の危険を顧みず説得を続けた結果、村人はようやく消毒に応じたものの、自らがコレラに感染。じうに看病されながら亡くなり、3日後、じうもコレラにより生涯を終えた。
 殉職地近くの衣笠小は毎年、6年生が劇「江崎巡査物語」を学芸会で披露。児童たちは「紙芝居を作り、もっと江崎巡査の功績をたくさんの人に伝えたい」と、1月下旬から1カ月半かけ制作してきた。読み聞かせ・図書ボランティアの力を借り、画用紙16枚に和紙や色画用紙を貼りつけ、6年生総勢52人で仕上げた。
 この日は、2回にわたり、6年生が5年生に向け上演。紙芝居の途中には、人形パネルや人力車の模型も使い、命がけで職務を全うする江崎巡査の姿を臨場感を持って伝えた。
 6年生たちは「ボランティアの人たちのおかげで、すごい紙芝居ができた」「想像よりとてもいい作品ができた」など出来栄えに大満足。今後、紙芝居は後輩へと引き継がれる予定。6年の牧野友飛君(12)は「まだ改善できるところがある。後輩たちにはもっと完璧な演技をしてほしい」と期待を寄せた。
(飯塚雪)

命がけで職務を全うする江崎巡査の姿を描いた紙芝居「江崎巡査物語」を披露する児童たち=衣笠小学校で
命がけで職務を全うする江崎巡査の姿を描いた紙芝居「江崎巡査物語」を披露する児童たち=衣笠小学校で

カテゴリー:社会・経済 / 地域・教育

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