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豊川用水が通水50周年 6月3日に記念行事

通水50周年を迎える豊川用水の生みの親・近藤寿市郎の銅像=田原市内で
通水50周年を迎える豊川用水の生みの親・近藤寿市郎の銅像=田原市内で

 東三河平野部5市と県境を越えて湖西市を潤し、生活を支えている豊川用水が6月1日、通水50周年を迎える。農業、水道、工業用の水を供給して半世紀。同用水の恩恵を受け、6市の農業、工業は飛躍的な発展を遂げた。通水日に合わせ、6月3日には水源地と受益地の特産物などを販売する記念行事、9月には記念式典、記念誌の発行が計画されている。
 豊川用水は、奥三河の雨を宇連ダム(新城市)と大島ダム(同)でため、豊川(とよがわ)の支流・宇連川など複数の川の水も取り入れ、水路で豊橋、豊川、蒲郡、新城、田原の東三河5市と湖西市に送っている。
 田畑や温室で農作物を作る農業用水に最も多く使われているほか、東三河5市で飲み水などの水道用水、東三河の三河港臨海部や湖西市などの工場で使われる工業用水を供給している。
 1968(昭和43)年6月1日に通水して以降、受益地は通水当時、約42万人だった給水人口が1・7倍の約73万人(2015年度)。約3500億円だった製造品出荷額は17・4倍の約6兆1000億円(同)に膨らみ、約370億円だった農業産出額が約1600億円(同)と全国屈指の農業地帯となった。
 この地域を発展させた豊川用水の生みの親が、田原市高松町出身の政治家・近藤寿市郎。県議、衆院議員、豊橋市長などを歴任した。
 県議時代の1921(大正10)年、視察したインドネシアの灌漑(かんがい)用水をヒントに、帰郷後、早速豊川用水を提唱したが、「世紀の大ボラ」「全く夢のような話」と一笑に付されたという。だが、諦めず、衆院議員に転身後も主張を続け、戦後の1949年、着工にこぎつけた。工事は20年近くかかった。
 「子どもの頃、親父に言われ、ため池から水をくみ、桶の水を牛車で運んだよ」。水不足に苦労していた頃を思い起こすのは、寿市郎の出身地近くに住む田原市赤羽根町の農家男性(69)だ。「今やバルブをひねるだけで水が出る」と感謝する。
 農業どころの渥美半島で温室栽培などを手掛け、農業で生計を立ててきたこの男性は「少しでも恩返しになれば」と水源地の一つ、設楽町の人たちとの交流を長く続け、水の恩恵を胸に刻んでいる。
 6月3日の記念行事は、水源地と受益地の交流を目的に企画された。豊橋市が豊橋駅南口駅前広場で開催している特産市「まちなかマルシェ」で物産展、豊川用水を学ぶ催しが行われる。五平餅、アマゴの塩焼きなど水源地の名物や、用水の恵みで育ったメロン、トマトなどを販売。用水に関するクイズ、豊根村で売られている「ダムカレー」もある。
 記念式典は9月29日、県などでつくる豊川用水通水50周年記念事業実行委員会(事務局・水資源機構豊川用水総合事業部)の主催で豊橋市内を会場に開かれる。
(中村晋也)

 東三河平野部5市と県境を越えて湖西市を潤し、生活を支えている豊川用水が6月1日、通水50周年を迎える。農業、水道、工業用の水を供給して半世紀。同用水の恩恵を受け、6市の農業、工業は飛躍的な発展を遂げた。通水日に合わせ、6月3日には水源地と受益地の特産物などを販売する記念行事、9月には記念式典、記念誌の発行が計画されている。
 豊川用水は、奥三河の雨を宇連ダム(新城市)と大島ダム(同)でため、豊川(とよがわ)の支流・宇連川など複数の川の水も取り入れ、水路で豊橋、豊川、蒲郡、新城、田原の東三河5市と湖西市に送っている。
 田畑や温室で農作物を作る農業用水に最も多く使われているほか、東三河5市で飲み水などの水道用水、東三河の三河港臨海部や湖西市などの工場で使われる工業用水を供給している。
 1968(昭和43)年6月1日に通水して以降、受益地は通水当時、約42万人だった給水人口が1・7倍の約73万人(2015年度)。約3500億円だった製造品出荷額は17・4倍の約6兆1000億円(同)に膨らみ、約370億円だった農業産出額が約1600億円(同)と全国屈指の農業地帯となった。
 この地域を発展させた豊川用水の生みの親が、田原市高松町出身の政治家・近藤寿市郎。県議、衆院議員、豊橋市長などを歴任した。
 県議時代の1921(大正10)年、視察したインドネシアの灌漑(かんがい)用水をヒントに、帰郷後、早速豊川用水を提唱したが、「世紀の大ボラ」「全く夢のような話」と一笑に付されたという。だが、諦めず、衆院議員に転身後も主張を続け、戦後の1949年、着工にこぎつけた。工事は20年近くかかった。
 「子どもの頃、親父に言われ、ため池から水をくみ、桶の水を牛車で運んだよ」。水不足に苦労していた頃を思い起こすのは、寿市郎の出身地近くに住む田原市赤羽根町の農家男性(69)だ。「今やバルブをひねるだけで水が出る」と感謝する。
 農業どころの渥美半島で温室栽培などを手掛け、農業で生計を立ててきたこの男性は「少しでも恩返しになれば」と水源地の一つ、設楽町の人たちとの交流を長く続け、水の恩恵を胸に刻んでいる。
 6月3日の記念行事は、水源地と受益地の交流を目的に企画された。豊橋市が豊橋駅南口駅前広場で開催している特産市「まちなかマルシェ」で物産展、豊川用水を学ぶ催しが行われる。五平餅、アマゴの塩焼きなど水源地の名物や、用水の恵みで育ったメロン、トマトなどを販売。用水に関するクイズ、豊根村で売られている「ダムカレー」もある。
 記念式典は9月29日、県などでつくる豊川用水通水50周年記念事業実行委員会(事務局・水資源機構豊川用水総合事業部)の主催で豊橋市内を会場に開かれる。
(中村晋也)

通水50周年を迎える豊川用水の生みの親・近藤寿市郎の銅像=田原市内で
通水50周年を迎える豊川用水の生みの親・近藤寿市郎の銅像=田原市内で

カテゴリー:社会・経済 / イベント

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