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地下鉄サリン被害者 河野さん記者会見詳細

オウム死刑囚の刑執行が終わった26日、記者会見する河野さん=豊橋市役所で
オウム死刑囚の刑執行が終わった26日、記者会見する河野さん=豊橋市役所で
集まった多くの報道陣の質問に答える河野さん=同
集まった多くの報道陣の質問に答える河野さん=同

 地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教事件で、教団元幹部の死刑囚13人全員の刑執行が終わった。1994(平成6)年、長野県松本市で起きた松本サリン事件で被害者となり、捜査対象にもされた豊橋市の河野義行さん(68)が26日、豊橋市内で記者会見し、胸中を明かした。会見の詳細を掲載する。

 -今の心境は?
 死刑執行は朝、高知県にいて電話で聞いた。オウム真理教の人たちのスタートは、言ってみれば「最終解脱」と「民衆の救済」ということで始まった。修業する中で突然方向が変わり、事件を起こしてしまったということ。もともと、宗教は人を幸せにしなければいけないものだが、結果的には自分自身あるいは自分の家族、大勢の市民を不幸にしてしまった。そのことが非常に残念だなと思う。動機が良くても結果が良くなった。死刑執行が行われたことは、悲しい出来事、そんな思いがする。

 -悲しいという思いを詳しく。
 平成10年前後、東京拘置所で、死刑執行された井上(嘉浩)さん、新実(智光)さん、遠藤(誠一)さん、中川(智正)さんの4人と会っている。彼らのオーラはとても清らかで、話してみると、やはり真面目だった。会うことで友達ではないが、なんとなく親しみのある人になる。そういう人がいなくなってしまったということなので、寂しいとか悲しいという感情は、そこからきていると思う。

 -13人が死刑執行され、かなり異例なケースだと思うが。
 執行時期や執行人数とか、異例の繰り返しだと思う。法律では6カ月以内に執行しなければいけないのに、なぜ今までされなかったのか。また、再審請求を出した井上さんが執行されたのはなぜか、法務省には説明してほしい。

 -これで関係者全員が死刑執行され、本当の真相が聞けない状況になったが。
 事件の真相というのは、その人に聞かないと心の内は分からない。本当の真実は分からなくなったと思う。必要なことは再発防止。法務省や警察庁がどのような再発防止策をとり、現在は万全なのか。テロが二度と起こらないための方策は終わっているのか、ぜひ明らかにしてもらいたい。

 -誰に何を聞きたかった?
 全員に「本当にやったの?」と聞きたい。裁判で刑は確定しているが、麻原彰晃さんに会えたら「否認していたが、本当は嘘なの?」と確認したい気持ちはある。

 -刑の執行前と後で気持ちの変化は?
 すべての人を許している。もういいじゃないかと思っている。やったことに対しての相応の罰を執行したということ。執行直前の(死刑囚の)心境については気になる。やっと自由になれるという気持ちか、恐怖か。それを聞いてみたい気持ちはあるが、いずれにしても、私自身に気持ちの変化はない。

 -今も死刑制度について反対の考えを持っている?
 人の命はかけがえのない大切なもの、それが人の手によって失われるのは反対。冤罪もある。自分自身の松本サリン事件のときは、九分九厘、犯人はあいつだと言われ、退院する時、記者の皆さんも予定稿を書いていた。人は間違えることがある。例えば100万人に1人なら冤罪で死刑になってもいいのかという話。確率の問題ではなく、あってはならないことだと思う。人は間違うという前提の中で(死刑)制度が維持し続けているのは命軽視ではないか。ただ、執行に関しては今の法律に基づき行われたので、執行した人を責めるべきではないと思う。

 -亡くなった妻澄子さんに報告は?
 死刑執行については言っていない。妻は、家にいて突然苦しくなって心肺停止になり、意識は戻らず14年たち亡くなっていった。オウム真理教がやったと言ってもおそらく分からないと思う。体を動かすこともしゃべることもできない、刑務所や拘置所よりももっと窮屈な状態で14年間いた。妻が亡くなるときに「やっと自由になれたね」と言葉をかけた。
 13人の死刑囚たちは20年近く自由を奪われ、窮屈な思いをしてきた。そんな中で刑が執行された。ある意味では彼らはやっと自由になれたんだなという思いがある。本当に彼らにとっての極刑が死刑とは思っていない。今回の執行により、過去の罪の償いも終わったと思う。彼らは普通の人になった。深追いして彼らを傷つけるようなこと、あるいは執行された(死刑囚の)遺族の方は非常につらい思いをしている。世の中としてそういう人をケアしなきゃいけない状況。しかし、場合によっては遺族もバッシングされる、そんな世の中は早くなくなってもらいたい。

 -きょう高知にいたのは?
 講演のため。朝、チェックアウトの前に電話がかかってきて(執行を)聞いた。死刑執行を受け、コメントを出したり、取材に応じたりしたくなく、7人の刑が執行された6日は一律に拒否したが、家に(報道陣が)大勢集まり、家族もいずらくなり避難した。そういう意味では、松本サリン事件の当時と変わらないではないか。皆さんには、ぜひ配慮していただきたい。

 -事件から20年以上たち、事件の風化が危惧されるが、どのようにしていくべきか。
 基本的に事件はどうしても風化していく。止めることはできないと思う。私にとって、人生の中であった不幸な出来事、現実だから受け入れていくしかない。自分の中の人生の不幸な一コマ、あったことは避けようがないので、それはそれでよしとしている。
 だが、事件の中でいろいろな教訓があったと思う。松本サリン事件では、非公式な情報が一人歩きした。事件発生後たった2日間で、なぜ私が世間から殺人鬼と呼ばれないといけなかったのか。報道も反省、教訓にしてほしい。長野県警の捜査に関しては、おおむね法に沿って適切に行われていたと思っている。ただ、退院後、2日間の事情聴取は無理し過ぎたという感じがある。いきなり自白の強要が行われたり、医師の診断書を無視して長時間の事情聴取を行ったり、子どもに対して嘘を言ったり、警察にも教訓があると思う。山梨にあったサティアンに不法な建築物がどんどん建っていったのも、どう考えてもおかしい。役所がやるべき仕事を怠ったと言われても仕方がない。それぞれが教訓を持ち生かしてもらう、事件は風化してもしょうがないと思っている。

 地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教事件で、教団元幹部の死刑囚13人全員の刑執行が終わった。1994(平成6)年、長野県松本市で起きた松本サリン事件で被害者となり、捜査対象にもされた豊橋市の河野義行さん(68)が26日、豊橋市内で記者会見し、胸中を明かした。会見の詳細を掲載する。

 -今の心境は?
 死刑執行は朝、高知県にいて電話で聞いた。オウム真理教の人たちのスタートは、言ってみれば「最終解脱」と「民衆の救済」ということで始まった。修業する中で突然方向が変わり、事件を起こしてしまったということ。もともと、宗教は人を幸せにしなければいけないものだが、結果的には自分自身あるいは自分の家族、大勢の市民を不幸にしてしまった。そのことが非常に残念だなと思う。動機が良くても結果が良くなった。死刑執行が行われたことは、悲しい出来事、そんな思いがする。

 -悲しいという思いを詳しく。
 平成10年前後、東京拘置所で、死刑執行された井上(嘉浩)さん、新実(智光)さん、遠藤(誠一)さん、中川(智正)さんの4人と会っている。彼らのオーラはとても清らかで、話してみると、やはり真面目だった。会うことで友達ではないが、なんとなく親しみのある人になる。そういう人がいなくなってしまったということなので、寂しいとか悲しいという感情は、そこからきていると思う。

 -13人が死刑執行され、かなり異例なケースだと思うが。
 執行時期や執行人数とか、異例の繰り返しだと思う。法律では6カ月以内に執行しなければいけないのに、なぜ今までされなかったのか。また、再審請求を出した井上さんが執行されたのはなぜか、法務省には説明してほしい。

 -これで関係者全員が死刑執行され、本当の真相が聞けない状況になったが。
 事件の真相というのは、その人に聞かないと心の内は分からない。本当の真実は分からなくなったと思う。必要なことは再発防止。法務省や警察庁がどのような再発防止策をとり、現在は万全なのか。テロが二度と起こらないための方策は終わっているのか、ぜひ明らかにしてもらいたい。

 -誰に何を聞きたかった?
 全員に「本当にやったの?」と聞きたい。裁判で刑は確定しているが、麻原彰晃さんに会えたら「否認していたが、本当は嘘なの?」と確認したい気持ちはある。

 -刑の執行前と後で気持ちの変化は?
 すべての人を許している。もういいじゃないかと思っている。やったことに対しての相応の罰を執行したということ。執行直前の(死刑囚の)心境については気になる。やっと自由になれるという気持ちか、恐怖か。それを聞いてみたい気持ちはあるが、いずれにしても、私自身に気持ちの変化はない。

 -今も死刑制度について反対の考えを持っている?
 人の命はかけがえのない大切なもの、それが人の手によって失われるのは反対。冤罪もある。自分自身の松本サリン事件のときは、九分九厘、犯人はあいつだと言われ、退院する時、記者の皆さんも予定稿を書いていた。人は間違えることがある。例えば100万人に1人なら冤罪で死刑になってもいいのかという話。確率の問題ではなく、あってはならないことだと思う。人は間違うという前提の中で(死刑)制度が維持し続けているのは命軽視ではないか。ただ、執行に関しては今の法律に基づき行われたので、執行した人を責めるべきではないと思う。

 -亡くなった妻澄子さんに報告は?
 死刑執行については言っていない。妻は、家にいて突然苦しくなって心肺停止になり、意識は戻らず14年たち亡くなっていった。オウム真理教がやったと言ってもおそらく分からないと思う。体を動かすこともしゃべることもできない、刑務所や拘置所よりももっと窮屈な状態で14年間いた。妻が亡くなるときに「やっと自由になれたね」と言葉をかけた。
 13人の死刑囚たちは20年近く自由を奪われ、窮屈な思いをしてきた。そんな中で刑が執行された。ある意味では彼らはやっと自由になれたんだなという思いがある。本当に彼らにとっての極刑が死刑とは思っていない。今回の執行により、過去の罪の償いも終わったと思う。彼らは普通の人になった。深追いして彼らを傷つけるようなこと、あるいは執行された(死刑囚の)遺族の方は非常につらい思いをしている。世の中としてそういう人をケアしなきゃいけない状況。しかし、場合によっては遺族もバッシングされる、そんな世の中は早くなくなってもらいたい。

 -きょう高知にいたのは?
 講演のため。朝、チェックアウトの前に電話がかかってきて(執行を)聞いた。死刑執行を受け、コメントを出したり、取材に応じたりしたくなく、7人の刑が執行された6日は一律に拒否したが、家に(報道陣が)大勢集まり、家族もいずらくなり避難した。そういう意味では、松本サリン事件の当時と変わらないではないか。皆さんには、ぜひ配慮していただきたい。

 -事件から20年以上たち、事件の風化が危惧されるが、どのようにしていくべきか。
 基本的に事件はどうしても風化していく。止めることはできないと思う。私にとって、人生の中であった不幸な出来事、現実だから受け入れていくしかない。自分の中の人生の不幸な一コマ、あったことは避けようがないので、それはそれでよしとしている。
 だが、事件の中でいろいろな教訓があったと思う。松本サリン事件では、非公式な情報が一人歩きした。事件発生後たった2日間で、なぜ私が世間から殺人鬼と呼ばれないといけなかったのか。報道も反省、教訓にしてほしい。長野県警の捜査に関しては、おおむね法に沿って適切に行われていたと思っている。ただ、退院後、2日間の事情聴取は無理し過ぎたという感じがある。いきなり自白の強要が行われたり、医師の診断書を無視して長時間の事情聴取を行ったり、子どもに対して嘘を言ったり、警察にも教訓があると思う。山梨にあったサティアンに不法な建築物がどんどん建っていったのも、どう考えてもおかしい。役所がやるべき仕事を怠ったと言われても仕方がない。それぞれが教訓を持ち生かしてもらう、事件は風化してもしょうがないと思っている。

オウム死刑囚の刑執行が終わった26日、記者会見する河野さん=豊橋市役所で
オウム死刑囚の刑執行が終わった26日、記者会見する河野さん=豊橋市役所で
集まった多くの報道陣の質問に答える河野さん=同
集まった多くの報道陣の質問に答える河野さん=同

カテゴリー:社会・経済

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