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田原でヤシの実投流事業対面式

雄大な太平洋を背に、対面を喜ぶヤシの実拾得者ら=田原市日出町で
雄大な太平洋を背に、対面を喜ぶヤシの実拾得者ら=田原市日出町で

 伊良湖岬が舞台となった詩人・島崎藤村の叙情詩「椰子(やし)の実」の再現を目指すヤシの実投流事業(渥美半島観光ビューロー主催)で、持ち主と拾い主の対面式が6日、田原市日出町の記念碑前であった。
 「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ」という叙情詩の「遠き島」を石垣島に見立て、田原市の恋路ヶ浜にたどりつくことを願い、1988(昭和63)年から実施している。
 31回目は昨年6月17日、ヤシの実購入者やビューロー関係者らが、石垣島の沖合から、連絡先が書かれたプレート付きのヤシの実115個を流し、3個が鹿児島県と宮崎県に流れ着いた。
 田原市中山町の農業、中原祥郎さん(71)のヤシの実は7月5日、鹿児島県薩摩川内市の海岸に漂着、同県の原﨑輝宏さん(77)が清掃の際に拾った。一方、沖縄県石垣市の小学2年、三木音波ちゃん(7)は祖父と弟と3人で投流事業に参加。船から「イチゴが食べたい」との願いを込めて投げたヤシの実が、7月23日に宮崎県日南市の砂浜にたどり着き、スキューバダイビングを楽しんでいた同県の平原春義さん(79)の手に渡った。
 対面式は、同ビューロー関係者や石垣市観光交流協会の役員、八重山観光親善大使のミス八重山らが参加。ヤシの実は持ち主へと返還され、11回目の挑戦だった中原さんは「初めて拾われた。どのように見つけたのか詳しく聞きたい」と目を輝かせた。
 同ビューロー会長の山下政良田原市長は「愛とロマンあふれる事業、このご縁を大切に、今後もぜひ続けていきたい」と話した。
 これまでに計3494個が投流され、うち田原市内には和地海岸(2001年)と、日出町、越戸町(12年)に計4個が流れ着いたが、まだ恋路ヶ浜への到達はかなっていない。
(飯塚雪)

 伊良湖岬が舞台となった詩人・島崎藤村の叙情詩「椰子(やし)の実」の再現を目指すヤシの実投流事業(渥美半島観光ビューロー主催)で、持ち主と拾い主の対面式が6日、田原市日出町の記念碑前であった。
 「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ」という叙情詩の「遠き島」を石垣島に見立て、田原市の恋路ヶ浜にたどりつくことを願い、1988(昭和63)年から実施している。
 31回目は昨年6月17日、ヤシの実購入者やビューロー関係者らが、石垣島の沖合から、連絡先が書かれたプレート付きのヤシの実115個を流し、3個が鹿児島県と宮崎県に流れ着いた。
 田原市中山町の農業、中原祥郎さん(71)のヤシの実は7月5日、鹿児島県薩摩川内市の海岸に漂着、同県の原﨑輝宏さん(77)が清掃の際に拾った。一方、沖縄県石垣市の小学2年、三木音波ちゃん(7)は祖父と弟と3人で投流事業に参加。船から「イチゴが食べたい」との願いを込めて投げたヤシの実が、7月23日に宮崎県日南市の砂浜にたどり着き、スキューバダイビングを楽しんでいた同県の平原春義さん(79)の手に渡った。
 対面式は、同ビューロー関係者や石垣市観光交流協会の役員、八重山観光親善大使のミス八重山らが参加。ヤシの実は持ち主へと返還され、11回目の挑戦だった中原さんは「初めて拾われた。どのように見つけたのか詳しく聞きたい」と目を輝かせた。
 同ビューロー会長の山下政良田原市長は「愛とロマンあふれる事業、このご縁を大切に、今後もぜひ続けていきたい」と話した。
 これまでに計3494個が投流され、うち田原市内には和地海岸(2001年)と、日出町、越戸町(12年)に計4個が流れ着いたが、まだ恋路ヶ浜への到達はかなっていない。
(飯塚雪)

雄大な太平洋を背に、対面を喜ぶヤシの実拾得者ら=田原市日出町で
雄大な太平洋を背に、対面を喜ぶヤシの実拾得者ら=田原市日出町で

カテゴリー:社会・経済

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