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そこに刻まれた轍 ほのくに幻影物語

カテゴリー:特集

石神神明社近くに残るコンクリートの橋桁と境界標(手前)=田原市石神町で
石神神明社近くに残るコンクリートの橋桁と境界標(手前)=田原市石神町で

⑧渥美線の延伸計画

 あすで終戦から74年。渥美半島には、戦争により幻となった鉄道の延伸計画があった。現在、新豊橋~三河田原を運行する豊橋鉄道渥美線。かつては三河田原よりも先、伊良湖岬付近まで延びる計画で、いまも工事や用地買収の名残がある。
 草町義和監修の「全国未成線ガイド」などによると、渥美電鉄は1925(大正14)年に豊橋~三河田原を開業し、翌年黒川原まで延伸。さらに伊良湖付近の堀切まで伸ばす予定だったが、経営難で断念する。
 しかし、鉄道省が渥美鉄道と接続する形で豊橋~堀切間の43・2㌔を建設線に指定。黒川原から先の建設に乗り出した。当時、師団口駅から高師地区には陸軍の施設が点在。半島の先端には射撃場もあり、伊勢湾一帯の防衛拠点として整備された。鉄道はこれらの連絡輸送路としての役割を期待された。
 第二次世界大戦が始まる前年の1938(昭和13)年7月、第1工区の黒川原~宇津江を着工。翌年5月、宇津江~三河福江も着工。福江までの約15㌔で土工が完成し、その先の堀切までの7・2㌔も用地買収を終え、あとは路盤工事の予算化を待つだけだった。
 しかし戦局が悪化し、資材も調達できず工事は中断。1944(昭和19)年6月には利用者の少なかった三河田原~黒川原が休止され、取り外されたレールは他線に転用された。食糧難から未成区間の用地は農地転換され、路盤や駅の跡地にもサツマイモなどが植えられた。そして、終戦を迎えた。戦後、渥美線の延伸再開を求める声が何度か上がったが、実現には至らなかった。
 未成区間の用地は旧田原町や渥美町に売却され、路盤はバイパス道路などに活用された。現在も江比間~三河高木の区間には路盤跡や築堤、橋桁があり、国鉄の敷地を示す「工」の字が彫られた境界標が点在して残っている。
(由本裕貴)

⑧渥美線の延伸計画

 あすで終戦から74年。渥美半島には、戦争により幻となった鉄道の延伸計画があった。現在、新豊橋~三河田原を運行する豊橋鉄道渥美線。かつては三河田原よりも先、伊良湖岬付近まで延びる計画で、いまも工事や用地買収の名残がある。
 草町義和監修の「全国未成線ガイド」などによると、渥美電鉄は1925(大正14)年に豊橋~三河田原を開業し、翌年黒川原まで延伸。さらに伊良湖付近の堀切まで伸ばす予定だったが、経営難で断念する。
 しかし、鉄道省が渥美鉄道と接続する形で豊橋~堀切間の43・2㌔を建設線に指定。黒川原から先の建設に乗り出した。当時、師団口駅から高師地区には陸軍の施設が点在。半島の先端には射撃場もあり、伊勢湾一帯の防衛拠点として整備された。鉄道はこれらの連絡輸送路としての役割を期待された。
 第二次世界大戦が始まる前年の1938(昭和13)年7月、第1工区の黒川原~宇津江を着工。翌年5月、宇津江~三河福江も着工。福江までの約15㌔で土工が完成し、その先の堀切までの7・2㌔も用地買収を終え、あとは路盤工事の予算化を待つだけだった。
 しかし戦局が悪化し、資材も調達できず工事は中断。1944(昭和19)年6月には利用者の少なかった三河田原~黒川原が休止され、取り外されたレールは他線に転用された。食糧難から未成区間の用地は農地転換され、路盤や駅の跡地にもサツマイモなどが植えられた。そして、終戦を迎えた。戦後、渥美線の延伸再開を求める声が何度か上がったが、実現には至らなかった。
 未成区間の用地は旧田原町や渥美町に売却され、路盤はバイパス道路などに活用された。現在も江比間~三河高木の区間には路盤跡や築堤、橋桁があり、国鉄の敷地を示す「工」の字が彫られた境界標が点在して残っている。
(由本裕貴)

石神神明社近くに残るコンクリートの橋桁と境界標(手前)=田原市石神町で
石神神明社近くに残るコンクリートの橋桁と境界標(手前)=田原市石神町で

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