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豊川市が三河国分寺の発掘調査結果発表

木製基壇と判明した金堂の基壇跡を説明する天野さん=三河国分寺跡で
木製基壇と判明した金堂の基壇跡を説明する天野さん=三河国分寺跡で

 豊川市は22日、国の指定史跡で、史跡公園の整備に向けて発掘調査を進めている豊川市八幡町の三河国分寺跡に関する調査結果を発表した。珍しい木製の基壇(建物の基礎部分)が県内で初めて確認されるなど、大きな成果があった。26日午後2時から一般向け現地説明会(無料)を行う。

 三河国分寺は奈良時代、聖武天皇の命で全国各地に建てられた寺院の一つで、三河地方では当時最も栄えた現在の八幡町に築かれた。市は土地の買収を進め、昭和60年代、平成中期に続く大規模な発掘調査を今年度から4年間行っている。
 初年度で判明した点は主に3つ。敷地の東側中央部にあった金堂の基壇規模を調査する過程で、周囲の溝を部分的に発掘すると、溝の底に木材が据えられていた痕跡を確認。基壇の外周を木材で装飾していたことが分かった。この木製基壇は全国的にも希少で、石を積んだ乱石積基壇外装が採用された近隣の三河国分尼寺の金堂とも異なり、貴重な発見となった。
 基壇周囲の溝を確認したことで、建物の大きさも判明。金堂は東西34・5㍍、南北21・3㍍で、三河国分尼寺の金堂とほぼ同じ。金堂の北側にあった講堂は東西30・3㍍、南北13・6㍍で、これも国分尼寺の講堂とほぼ同じだった。また、講堂のさらに北側に僧房があったことが発覚。地中から掘立柱建物跡とみられる柱穴が南側で2基、北側で1基確認できた。柱穴の中心には直径約40㌢の柱の痕跡があり、その位置関係から僧房は東西に長い形の建物だったと推定される。
 今年度の調査で、回廊跡では規模や構造に関する手がかりはつかめず、僧房についても建立時期において謎が残り、まだ位置が明らかになっていない他の建物もあるため、市は来年度以降も9月から約4カ月にわたって調査する。
 保存のため今回の発掘跡には土をかぶせるため、26日の一般向け説明会は肉眼で見られる唯一のチャンス。市教育委員会生涯学習課の天野雄矢さん(34)は「全国的にも貴重な発見なので見に来てほしい」と話している。
(由本裕貴)

 豊川市は22日、国の指定史跡で、史跡公園の整備に向けて発掘調査を進めている豊川市八幡町の三河国分寺跡に関する調査結果を発表した。珍しい木製の基壇(建物の基礎部分)が県内で初めて確認されるなど、大きな成果があった。26日午後2時から一般向け現地説明会(無料)を行う。

 三河国分寺は奈良時代、聖武天皇の命で全国各地に建てられた寺院の一つで、三河地方では当時最も栄えた現在の八幡町に築かれた。市は土地の買収を進め、昭和60年代、平成中期に続く大規模な発掘調査を今年度から4年間行っている。
 初年度で判明した点は主に3つ。敷地の東側中央部にあった金堂の基壇規模を調査する過程で、周囲の溝を部分的に発掘すると、溝の底に木材が据えられていた痕跡を確認。基壇の外周を木材で装飾していたことが分かった。この木製基壇は全国的にも希少で、石を積んだ乱石積基壇外装が採用された近隣の三河国分尼寺の金堂とも異なり、貴重な発見となった。
 基壇周囲の溝を確認したことで、建物の大きさも判明。金堂は東西34・5㍍、南北21・3㍍で、三河国分尼寺の金堂とほぼ同じ。金堂の北側にあった講堂は東西30・3㍍、南北13・6㍍で、これも国分尼寺の講堂とほぼ同じだった。また、講堂のさらに北側に僧房があったことが発覚。地中から掘立柱建物跡とみられる柱穴が南側で2基、北側で1基確認できた。柱穴の中心には直径約40㌢の柱の痕跡があり、その位置関係から僧房は東西に長い形の建物だったと推定される。
 今年度の調査で、回廊跡では規模や構造に関する手がかりはつかめず、僧房についても建立時期において謎が残り、まだ位置が明らかになっていない他の建物もあるため、市は来年度以降も9月から約4カ月にわたって調査する。
 保存のため今回の発掘跡には土をかぶせるため、26日の一般向け説明会は肉眼で見られる唯一のチャンス。市教育委員会生涯学習課の天野雄矢さん(34)は「全国的にも貴重な発見なので見に来てほしい」と話している。
(由本裕貴)

木製基壇と判明した金堂の基壇跡を説明する天野さん=三河国分寺跡で
木製基壇と判明した金堂の基壇跡を説明する天野さん=三河国分寺跡で

カテゴリー:社会・経済

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