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「明治から昭和を音楽と共に」番外編㊤

カテゴリー:特集

岩瀬さん=豊橋市中央図書館で
岩瀬さん=豊橋市中央図書館で
金子が通った福岡尋常高等小学校があったあたり(提供)。最初はどこに通っていたのかも分からなかったという
金子が通った福岡尋常高等小学校があったあたり(提供)。最初はどこに通っていたのかも分からなかったという

 東愛知新聞は5月1日から6月1日まで「明治から昭和を音楽と共に『内山金子とその時代展』より」を計10回、不定期に連載した。金子の夫で作曲家、古関裕而を巡っては先日も豊橋にちなむ2曲が「再発見」されたばかりで、まだまだブームは続くかもしれない。連載の執筆者で豊橋市中央図書館の主幹学芸員、岩瀬彰利さんに、紙面では書ききれなかった話を聞いた。2回に分けてお伝えする。
(聞き手・山田一晶)

謎だらけだった金子さん

-金子さんのことを調べ始めた経緯を。
 ◆福島市から「古関裕而さんを朝ドラで取り上げ、金子さんの出身地の豊橋市さんと協力してやりたい」と豊橋市に連絡があったのが2016年の秋でした。当時の職員は金子さんの資料を図書館に探しに来たり、福島や東京の親族まで調べに行ったりしました。実家については、小池町で聞き込みもやったそうです。でも、内山家のことを知っている人はいなかったとのことでした。しかし実際にドラマ化が決まると、郷土史に詳しいとのことで、私のところに「金子さんの話をしてほしい」という依頼が来るようになりました。それで調べ始めたのです。
 -地元でも有名な人だったのですか。
 ◆全然。古関金子、内山金子という人物は郷土誌の本にも出てこず、私も知らなかった。音楽家なのに、図書館にあったのは詩集「極光」だけ。インターネットで検索しても出てこない。古関裕而の研究者、金子の親族による旧満州(現中国東北部)での生活の本、豊橋市立高等女学校(現豊橋東高校)の同窓会名簿ぐらいしか見つかりませんでした。
 今回の連載の最初に金子の父、安蔵の話を書きました。日清・日露戦争に従軍したのですが、安蔵が元々豊橋の人だったのか、どこかから豊橋に移り住んだのか、実はそれも分かっていないのです。安蔵が亡くなり、1男6女の子どもたちのうち、長男は旧満州に渡る、娘たちは嫁ぐ。それで、豊橋市内で内山家を知る人はいなくなってしまったのでしょう。もう何十年か早くこのドラマが始まれば、また違ったのかもしれませんが。
 -そんな状態からよくここまで調べましたね。
 ◆断片的なピースを寄せ集めるような作業でした。たとえば「金子」という名前。最近出た小説には「本人が嫌がっていた」とあります。ところがこの名は母のみつが「金も情もあって尊敬できる人の名」を付けたものです。金子は「ゴールド」の字が使われていることから、気に入っていたのです。これは本人が戦後に書き残している寄稿文から分かりました。株式投資を論じた雑誌の原稿にあったのです。金子の実家も、親族の話とは違う場所にあることが調査で分かりました。
 小学校も、最初はどこだったのか分かりませんでした。自宅の場所と小学校区から突き止めました。小学校時代の話として「かぐや姫」のエピソードが有名ですが、実はそれぐらいしか情報が無かった。空白の期間でした。それが本人が後年に書いた回想の中で、小学生の頃の話が出てきたのです。
 -古関裕而の妻を研究する人はいなかった?
 ◆ご家族が所蔵している日記などはありましたが、非公表です。調査でご協力をいただき、見せてもらったり、借り受けたりすることができました。ただ、本人が書いているからといって、すべてが正しいとは限らない。何十年もたってから、金子が記憶を頼りに書いているので、時系列が合わない話も出てきます。推測で出来事を並べられない。解釈が変わってきますから。時系列を重視するのは考古学研究者としてのこだわりですね。ただ、不明部分を完全に埋めるのは困難です。古関裕而記念館の学芸員も「金子の年表を作るのは無理だと思う」と話していました。
(つづく)

 東愛知新聞は5月1日から6月1日まで「明治から昭和を音楽と共に『内山金子とその時代展』より」を計10回、不定期に連載した。金子の夫で作曲家、古関裕而を巡っては先日も豊橋にちなむ2曲が「再発見」されたばかりで、まだまだブームは続くかもしれない。連載の執筆者で豊橋市中央図書館の主幹学芸員、岩瀬彰利さんに、紙面では書ききれなかった話を聞いた。2回に分けてお伝えする。
(聞き手・山田一晶)

謎だらけだった金子さん

-金子さんのことを調べ始めた経緯を。
 ◆福島市から「古関裕而さんを朝ドラで取り上げ、金子さんの出身地の豊橋市さんと協力してやりたい」と豊橋市に連絡があったのが2016年の秋でした。当時の職員は金子さんの資料を図書館に探しに来たり、福島や東京の親族まで調べに行ったりしました。実家については、小池町で聞き込みもやったそうです。でも、内山家のことを知っている人はいなかったとのことでした。しかし実際にドラマ化が決まると、郷土史に詳しいとのことで、私のところに「金子さんの話をしてほしい」という依頼が来るようになりました。それで調べ始めたのです。
 -地元でも有名な人だったのですか。
 ◆全然。古関金子、内山金子という人物は郷土誌の本にも出てこず、私も知らなかった。音楽家なのに、図書館にあったのは詩集「極光」だけ。インターネットで検索しても出てこない。古関裕而の研究者、金子の親族による旧満州(現中国東北部)での生活の本、豊橋市立高等女学校(現豊橋東高校)の同窓会名簿ぐらいしか見つかりませんでした。
 今回の連載の最初に金子の父、安蔵の話を書きました。日清・日露戦争に従軍したのですが、安蔵が元々豊橋の人だったのか、どこかから豊橋に移り住んだのか、実はそれも分かっていないのです。安蔵が亡くなり、1男6女の子どもたちのうち、長男は旧満州に渡る、娘たちは嫁ぐ。それで、豊橋市内で内山家を知る人はいなくなってしまったのでしょう。もう何十年か早くこのドラマが始まれば、また違ったのかもしれませんが。
 -そんな状態からよくここまで調べましたね。
 ◆断片的なピースを寄せ集めるような作業でした。たとえば「金子」という名前。最近出た小説には「本人が嫌がっていた」とあります。ところがこの名は母のみつが「金も情もあって尊敬できる人の名」を付けたものです。金子は「ゴールド」の字が使われていることから、気に入っていたのです。これは本人が戦後に書き残している寄稿文から分かりました。株式投資を論じた雑誌の原稿にあったのです。金子の実家も、親族の話とは違う場所にあることが調査で分かりました。
 小学校も、最初はどこだったのか分かりませんでした。自宅の場所と小学校区から突き止めました。小学校時代の話として「かぐや姫」のエピソードが有名ですが、実はそれぐらいしか情報が無かった。空白の期間でした。それが本人が後年に書いた回想の中で、小学生の頃の話が出てきたのです。
 -古関裕而の妻を研究する人はいなかった?
 ◆ご家族が所蔵している日記などはありましたが、非公表です。調査でご協力をいただき、見せてもらったり、借り受けたりすることができました。ただ、本人が書いているからといって、すべてが正しいとは限らない。何十年もたってから、金子が記憶を頼りに書いているので、時系列が合わない話も出てきます。推測で出来事を並べられない。解釈が変わってきますから。時系列を重視するのは考古学研究者としてのこだわりですね。ただ、不明部分を完全に埋めるのは困難です。古関裕而記念館の学芸員も「金子の年表を作るのは無理だと思う」と話していました。
(つづく)

岩瀬さん=豊橋市中央図書館で
岩瀬さん=豊橋市中央図書館で
金子が通った福岡尋常高等小学校があったあたり(提供)。最初はどこに通っていたのかも分からなかったという
金子が通った福岡尋常高等小学校があったあたり(提供)。最初はどこに通っていたのかも分からなかったという

カテゴリー:特集

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