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「明治から昭和を音楽と共に」番外編㊦

カテゴリー:特集

「内山金子とその時代展」会場の岩瀬さん=豊橋市中央図書館で
「内山金子とその時代展」会場の岩瀬さん=豊橋市中央図書館で
金子が通った豊橋市立高等女学校(豊橋東高校蔵)。史実では、金子が音楽と出会った舞台だった
金子が通った豊橋市立高等女学校(豊橋東高校蔵)。史実では、金子が音楽と出会った舞台だった

東愛知新聞で連載した「明治から昭和を音楽と共に『内山金子とその時代展』より」の裏話。連載執筆者で豊橋市中央図書館の主幹学芸員、岩瀬彰利さんへのインタビューは続く。
(聞き手・山田一晶)

真の金子さん知ってほしい

 -不確かな資料を調べていくと新発見がある。
 ◆連載で書きましたが、本人は「女学生の時」と書いている雑誌「女人芸術」を見つけたのが1928年7月以降だったこと。名古屋に住み込み「健康第一会」のニュース編集を始めた日付け。結婚式を挙げたのは実は、通説より1年遅れの1931年だったこと。これは、1930年5月29日に2人で、犬山の日本ラインへ旅行に出かけたという記録が見つかったことから、6月1日に式を挙げるのは無理だろう、という思いから調べたことでした。当時の鉄道ダイヤを見ると犬山から福島へは強行すれば2日で着きますが、保守的で名家の古関家が、いきなり連れてきた女性との結婚を認めるのだろうか、という疑問から調査しました。
 -朝ドラ「エール」は好調ですね。
 ◆そうですね。ただ、ドラマのストーリーを正しい事実だと思っている人がかなりいるようです。インターネットでは金子がクリスチャンだったという記述がたくさん見つかります。金子は仏教徒です。実は、ドラマを制作するにあたり、後にオペラ歌手となる金子がいつ、音楽と出会ったのかが分からなかった。その時代、豊橋では音楽に触れる機会はまずなかったろう、という結論になりました。こちらも提供できる情報がありませんでした。そこで、クリスチャンとして豊橋の教会に通い、賛美歌に触れて音楽に目覚めた、というシナリオになったのだと思います。
 その後の調査で、豊橋市立高等女学校の先進的な教育が分かってきました。プロの音楽家を呼び寄せて生徒に聴かせるようなことをやっていた。そういえば、その時期に金子は生徒だった。そこで初めて金子と音楽の出会いが分かったのです。舞台は豊橋高女だったのです。脚本を書く前にこのことが分かっていたら、別のストーリーになっていたかもしれません。
 -ドラマの設定が正史として独り歩きする、と。
 ◆ドラマ放映に合わせて、さまざまな関連書籍が出ていますが、史実に基づかずに2人を描いている小説もあります。豊橋で生まれ、明治から昭和を古関裕而とともに生きた金子の本当の姿を知ってほしい。豊橋市中央図書館で開催中の今回の「内山金子とその時代展」は、そのための企画です。そして、東愛知新聞の10回の連載は、企画展が始まってから分かった事実も織り込んだ最新の金子の史実になっていると思います。
 -調査して思ったことを。
 ◆凝り性なので、疑問点があると徹底して調べないと気が済まない。歴史を復元することは、作業は推理小説のようですね。ある金子の出来事の年代が特定できれば、その背後の動きが分かります。同じ出来事でも年代が違うと、意味が変わる場合があるのです。これも連載に書きましたが、古関裕而と金子の人生は、もう10年早くても、遅くてもこうはならなかったということです。10年早ければ、日清・日露戦争、10年遅ければ15年戦争。ひょっとしたら金子は高女から勤労動員で働いていたかもしれない。大正という安定した、比較的自由な時代に青春を送ったことで、2人があるのだと思います。
    ◇
 東愛知新聞社は「明治から昭和を音楽と共に『内山金子とその時代展』より」を掲載した紙面のバックナンバーを販売しています。
 連載は、第1回「豊橋生まれの金子」(5月1日)▽第2回「幼少期~小学校時代」(2日)▽第3回「豊橋市立高等女学校時代」(13日)▽第4回「名古屋で文芸活動」(14日)▽第5回「運命の出会い」(17日)▽第6回「福島へ、裕而と結婚」(18日)▽第7回「上京、声楽を学ぶ」(24日)▽第8回「戦前、声楽家として活動」(25日)▽第9回「声楽から文芸活動へ」(31日)▽第10回「晩年の金子」(6月1日)-。
 1部110円(税込み)。お問い合わせは、東愛知新聞社(0532・32・3111)へ。

東愛知新聞で連載した「明治から昭和を音楽と共に『内山金子とその時代展』より」の裏話。連載執筆者で豊橋市中央図書館の主幹学芸員、岩瀬彰利さんへのインタビューは続く。
(聞き手・山田一晶)

真の金子さん知ってほしい

 -不確かな資料を調べていくと新発見がある。
 ◆連載で書きましたが、本人は「女学生の時」と書いている雑誌「女人芸術」を見つけたのが1928年7月以降だったこと。名古屋に住み込み「健康第一会」のニュース編集を始めた日付け。結婚式を挙げたのは実は、通説より1年遅れの1931年だったこと。これは、1930年5月29日に2人で、犬山の日本ラインへ旅行に出かけたという記録が見つかったことから、6月1日に式を挙げるのは無理だろう、という思いから調べたことでした。当時の鉄道ダイヤを見ると犬山から福島へは強行すれば2日で着きますが、保守的で名家の古関家が、いきなり連れてきた女性との結婚を認めるのだろうか、という疑問から調査しました。
 -朝ドラ「エール」は好調ですね。
 ◆そうですね。ただ、ドラマのストーリーを正しい事実だと思っている人がかなりいるようです。インターネットでは金子がクリスチャンだったという記述がたくさん見つかります。金子は仏教徒です。実は、ドラマを制作するにあたり、後にオペラ歌手となる金子がいつ、音楽と出会ったのかが分からなかった。その時代、豊橋では音楽に触れる機会はまずなかったろう、という結論になりました。こちらも提供できる情報がありませんでした。そこで、クリスチャンとして豊橋の教会に通い、賛美歌に触れて音楽に目覚めた、というシナリオになったのだと思います。
 その後の調査で、豊橋市立高等女学校の先進的な教育が分かってきました。プロの音楽家を呼び寄せて生徒に聴かせるようなことをやっていた。そういえば、その時期に金子は生徒だった。そこで初めて金子と音楽の出会いが分かったのです。舞台は豊橋高女だったのです。脚本を書く前にこのことが分かっていたら、別のストーリーになっていたかもしれません。
 -ドラマの設定が正史として独り歩きする、と。
 ◆ドラマ放映に合わせて、さまざまな関連書籍が出ていますが、史実に基づかずに2人を描いている小説もあります。豊橋で生まれ、明治から昭和を古関裕而とともに生きた金子の本当の姿を知ってほしい。豊橋市中央図書館で開催中の今回の「内山金子とその時代展」は、そのための企画です。そして、東愛知新聞の10回の連載は、企画展が始まってから分かった事実も織り込んだ最新の金子の史実になっていると思います。
 -調査して思ったことを。
 ◆凝り性なので、疑問点があると徹底して調べないと気が済まない。歴史を復元することは、作業は推理小説のようですね。ある金子の出来事の年代が特定できれば、その背後の動きが分かります。同じ出来事でも年代が違うと、意味が変わる場合があるのです。これも連載に書きましたが、古関裕而と金子の人生は、もう10年早くても、遅くてもこうはならなかったということです。10年早ければ、日清・日露戦争、10年遅ければ15年戦争。ひょっとしたら金子は高女から勤労動員で働いていたかもしれない。大正という安定した、比較的自由な時代に青春を送ったことで、2人があるのだと思います。
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 東愛知新聞社は「明治から昭和を音楽と共に『内山金子とその時代展』より」を掲載した紙面のバックナンバーを販売しています。
 連載は、第1回「豊橋生まれの金子」(5月1日)▽第2回「幼少期~小学校時代」(2日)▽第3回「豊橋市立高等女学校時代」(13日)▽第4回「名古屋で文芸活動」(14日)▽第5回「運命の出会い」(17日)▽第6回「福島へ、裕而と結婚」(18日)▽第7回「上京、声楽を学ぶ」(24日)▽第8回「戦前、声楽家として活動」(25日)▽第9回「声楽から文芸活動へ」(31日)▽第10回「晩年の金子」(6月1日)-。
 1部110円(税込み)。お問い合わせは、東愛知新聞社(0532・32・3111)へ。

「内山金子とその時代展」会場の岩瀬さん=豊橋市中央図書館で
「内山金子とその時代展」会場の岩瀬さん=豊橋市中央図書館で
金子が通った豊橋市立高等女学校(豊橋東高校蔵)。史実では、金子が音楽と出会った舞台だった
金子が通った豊橋市立高等女学校(豊橋東高校蔵)。史実では、金子が音楽と出会った舞台だった

カテゴリー:特集

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