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豊橋出身で唯一の金メダリスト 清川正二

カテゴリー:スポーツ

ロサンゼルス五輪で金メダルに輝いた清川正二(右端)。他は入江と河津
ロサンゼルス五輪で金メダルに輝いた清川正二(右端)。他は入江と河津

【はじめに】
 24日は、本当だったら東京2020オリンピックの開会式がある日でした。地元の女子マラソン選手、鈴木亜由子さんをはじめ、世界中から集まったアスリートたちが世界の頂点を目指して競うはずでしたが、残念ながら新型コロナウイルス感染拡大防止のため延期となってしまいました。
 ところで、今までのオリンピックで金メダルを取った選手が豊橋にいたことをご存じでしょうか? 豊橋市関屋町出身の清川正二(きよかわ・まさじ)です。60歳以上なら知っている方が多いと思いますが、それ以下の世代にはほとんど知られていません。今回は豊橋出身で唯一の金メダリスト、清川正二を紹介したいと思います。

【ロサンゼルス大会】
 1932(昭和7)年のオリンピックロサンゼルス大会の100㍍背泳ぎのレース決勝、世界中の人々が驚きました。名古屋高等商業学校(現名古屋大学)在学中の清川は、当時19歳でした。決勝では、清川は6コース。号砲とともにスタートし、25㍍過ぎからトップに立ちます。そして75㍍過ぎには他を大きく引き離し、そのままトップでゴールしたのでした。
 続いて早稲田大学の入江稔夫が2位で、明治大学の河津憲太郎が3位でゴールしました。史上初めて日本人が、金、銀、銅の表彰台を独占した瞬間でした。

【豊橋時代の清川】
 清川は、1913(大正2)年に豊橋市関屋町で生まれました。小学校は松葉尋常小学校(現松葉小)で、1年生の頃から水泳を覚え、夏になると朝から晩まで、近所の子どもたちと一緒に豊川(とよがわ)で水遊びをしていたそうです。中学校は第四中学校(現時習館高)へ進学しました。兄の影響で中学では「背泳選手」を志しました。当時、豊橋には正規の25㍍プールがなかったので、豊川に仕切り板を立ててプール代わりとして練習したそうです。

【ベルリン大会】
 金メダルを取った清川は、東京商科大学(現一橋大)へ進学しました。在学中の1936(昭和11)年にあったヒトラーのオリンピックといわれたベルリン大会にも出場し、100㍍背泳ぎで銅メダルを取っています。

【戦後】
 現役を引退した清川は、戦後の1946(昭和21)年から7年間、日本水泳チームのヘッドコーチを務めました。育てた選手には自由形の世界記録を立てた古橋広之進もいました。
 1969(昭和42)年には、日本人メダリストとしてIOC(国際オリンピック委員会)の委員を務め、1979(昭和54年)~83年には日本人初IOC副会長を務めました。清川の業績から、1978(昭和53)年には国際水泳殿堂入りを果たしています。

【大河ドラマにも登場】
 昨年放送されたNHK大河ドラマ「いだてん」の第2部では、清川正二役を内田裕大という若手俳優が演じました。大河ドラマの登場人物となるほどの著名な人物です。この機会に豊橋出身の金メダリスト、清川正二を覚えていただければ幸いです。
(豊橋市図書館主幹学芸員・岩瀨彰利)

 ■豊橋市出身のオリンピアン
 ▽前田隆利(南小池町出身)馬術、1964年第18回東京五輪▽橋本行弘(松葉町出身)ハンドボール、88年第24回ソウル五輪▽松下浩二(牛川薬師町出身)卓球、92年第25回バルセロナ五輪、96年第26回アトランタ五輪▽岩水嘉孝(青陵中学校)陸上、2004年第28回アテネ五輪、08年第29回北京五輪▽鈴木明子(花田小学校):フィギュアスケート、10年第21回バンクーバー五輪、14年第22回ソチ五輪▽高田真希(津田小学校、豊橋北部中学校)バスケットボール、16年第31回リオデジャネイロ五輪▽鈴木亜由子(八町小学校、豊城中学校)陸上、16年第31回リオデジャネイロ五輪▽彦坂匡克(汐田小学校、牟呂中学校)ラグビーフットボール、16年第31回リオデジャネイロ五輪(豊橋市のホームページから、敬称略)

【はじめに】
 24日は、本当だったら東京2020オリンピックの開会式がある日でした。地元の女子マラソン選手、鈴木亜由子さんをはじめ、世界中から集まったアスリートたちが世界の頂点を目指して競うはずでしたが、残念ながら新型コロナウイルス感染拡大防止のため延期となってしまいました。
 ところで、今までのオリンピックで金メダルを取った選手が豊橋にいたことをご存じでしょうか? 豊橋市関屋町出身の清川正二(きよかわ・まさじ)です。60歳以上なら知っている方が多いと思いますが、それ以下の世代にはほとんど知られていません。今回は豊橋出身で唯一の金メダリスト、清川正二を紹介したいと思います。

【ロサンゼルス大会】
 1932(昭和7)年のオリンピックロサンゼルス大会の100㍍背泳ぎのレース決勝、世界中の人々が驚きました。名古屋高等商業学校(現名古屋大学)在学中の清川は、当時19歳でした。決勝では、清川は6コース。号砲とともにスタートし、25㍍過ぎからトップに立ちます。そして75㍍過ぎには他を大きく引き離し、そのままトップでゴールしたのでした。
 続いて早稲田大学の入江稔夫が2位で、明治大学の河津憲太郎が3位でゴールしました。史上初めて日本人が、金、銀、銅の表彰台を独占した瞬間でした。

【豊橋時代の清川】
 清川は、1913(大正2)年に豊橋市関屋町で生まれました。小学校は松葉尋常小学校(現松葉小)で、1年生の頃から水泳を覚え、夏になると朝から晩まで、近所の子どもたちと一緒に豊川(とよがわ)で水遊びをしていたそうです。中学校は第四中学校(現時習館高)へ進学しました。兄の影響で中学では「背泳選手」を志しました。当時、豊橋には正規の25㍍プールがなかったので、豊川に仕切り板を立ててプール代わりとして練習したそうです。

【ベルリン大会】
 金メダルを取った清川は、東京商科大学(現一橋大)へ進学しました。在学中の1936(昭和11)年にあったヒトラーのオリンピックといわれたベルリン大会にも出場し、100㍍背泳ぎで銅メダルを取っています。

【戦後】
 現役を引退した清川は、戦後の1946(昭和21)年から7年間、日本水泳チームのヘッドコーチを務めました。育てた選手には自由形の世界記録を立てた古橋広之進もいました。
 1969(昭和42)年には、日本人メダリストとしてIOC(国際オリンピック委員会)の委員を務め、1979(昭和54年)~83年には日本人初IOC副会長を務めました。清川の業績から、1978(昭和53)年には国際水泳殿堂入りを果たしています。

【大河ドラマにも登場】
 昨年放送されたNHK大河ドラマ「いだてん」の第2部では、清川正二役を内田裕大という若手俳優が演じました。大河ドラマの登場人物となるほどの著名な人物です。この機会に豊橋出身の金メダリスト、清川正二を覚えていただければ幸いです。
(豊橋市図書館主幹学芸員・岩瀨彰利)

 ■豊橋市出身のオリンピアン
 ▽前田隆利(南小池町出身)馬術、1964年第18回東京五輪▽橋本行弘(松葉町出身)ハンドボール、88年第24回ソウル五輪▽松下浩二(牛川薬師町出身)卓球、92年第25回バルセロナ五輪、96年第26回アトランタ五輪▽岩水嘉孝(青陵中学校)陸上、2004年第28回アテネ五輪、08年第29回北京五輪▽鈴木明子(花田小学校):フィギュアスケート、10年第21回バンクーバー五輪、14年第22回ソチ五輪▽高田真希(津田小学校、豊橋北部中学校)バスケットボール、16年第31回リオデジャネイロ五輪▽鈴木亜由子(八町小学校、豊城中学校)陸上、16年第31回リオデジャネイロ五輪▽彦坂匡克(汐田小学校、牟呂中学校)ラグビーフットボール、16年第31回リオデジャネイロ五輪(豊橋市のホームページから、敬称略)

ロサンゼルス五輪で金メダルに輝いた清川正二(右端)。他は入江と河津
ロサンゼルス五輪で金メダルに輝いた清川正二(右端)。他は入江と河津

カテゴリー:スポーツ

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